ついにぶっ倒れた。完全にダウン。
朝はそうでもなかった。昨夜は起きていられず、結局1時前に就寝、5時台に一度目が覚めたが2度寝して7時起床。朝食後燃えるゴミを出してきてから、ツイッターでコンゴの少年兵を描いた映画のことを知り、去年入院中に読み終えた高野和明「ジェノサイド」のことを思い出して興味本位生活に記事を書いた。
異変が起こったのは業務に行ってから。昼前から何故か精神的にへばってしまった。それほど酷い展開な訳でもないのに。何度も外に出て休みを取り、一体どうしたんだろうと考えた。以前、うつが酷いうえに大量の薬で朝からふらふらのときでもこんなことはなかった。去年の11月、業務を引退しようと思ったときは、最初に座った瞬間に恐怖心を覚えてダメだったから、今回のそれとは違った。
まったく頑張れない。何がどうしたのか、僕の精神に何が起こっているのかまったく分からない。とにかく頑張れない。昨日のことがあったので今日は安定剤のセルシンを飲みたくなかったのだが、1時前にとうとう1錠飲んでしまった。これがいけなかった。最終的には気分が悪くなり、2時にリタイアして帰宅。そのころにはもうふらふらで胃の辺りがむかむかして物凄く気分が悪くなっていた。帰宅後、さらに吐き気までしてきたので書斎のソファでタオルケットを頭から被って横になった。
が、眠れない。気分が悪過ぎてダメ。そのうち、これではこの先何も出来ない、今後の僕は何もすることが出来ないと完全に絶望してしまい、手が震えるほどの恐怖心を覚えた。体調の悪さもあいまって、精神的に底の底まで落ちてしまった。あまりにも具合が悪いので誰かに助けを求めたかったが、こういう場合に電話出来る相手は誰も思いつかず、それがさらに僕を絶望させた。
そのうち、諦めて時計を見ると4時、1時間半が経過していたところをみると、少しはうとうとしたのかも知れない。身体を起こすと、気分がよくなるどころか吐き気が治まらず、体調はまったく復活していなかった。もうホントにただの病人なので、しょうがないので以前も行った近所の内科に電話して、これから診てもらえるか確認し、すぐ来てくれと言われたのでふらふらしながら車で向かった。出かける前に吐き気止めのプリンペランを飲んだ。
ようやく診察室に呼ばれ、症状と数週間前からうつが酷くなったことを話した。医者は見ただけで具合が悪いのが分かりますと言った。ストレスからまた煙草を吸い始めたことを話すと止めるように言われた。慢性の胃炎であることは間違いないということだった。本来なら母の入院している精神科に通わなければならないところだけれど、先生のところから薬をもらえないかと頼んだ。医者はセルシンはダメだと思うと言った。確かに、数日前にセルシンを飲み始めてからまったく調子が悪い。合わない。
結局、胃薬を2種類と抗うつ薬のデプロメール、安定剤のソラナックスを処方された。僕はかつてSSRIを飲んで対人関係が崩壊したり酷い目に遭ったので飲むのは嫌だと言ったのだけれど、軽いものを飲んだ方がいいということだった。
まだ気分は治まらなかったが車で処方薬局に行って薬をもらい、明日の朝のパンがないのでスーパーに買い物に寄ってから帰った。いまだにむかむかして食欲はまったくなかったが、何か食べないとと思って7時過ぎに簡単な食事を作って食べた。食後に処方された胃薬を飲んだ。そのころになってようやくプリンペランが効いてきたのか吐き気は治まってきたが、気分の悪さは治まらず、やたらと長く効くセルシンのせいでいまだに朦朧としていたので、また書斎のソファに横になった。Hが僕のツイッターの書き込みを見てメールをくれたので、ソファで少し電話で話したが、話ながらときどき意識が遠くなって途切れそうになる。電話を終えて、ようやく眠れた。9時ごろ。
目が覚めてソファから起き出したのはもう日付が変わろうとするころだった。ようやくセルシンによる朦朧とした感じが少し治まり、3時間ほど寝たので気分も大分マシになり、風呂を沸かしながらこの日記を書いているところだ。
それにしても今の僕はまったくのただの病人であり、考えている以上にうつが酷く、精神的に参って脆弱になっている。自分で思っている以上に今は無理が利かないということを思い知らされた。まったくそれだけでも気が滅入るし、暗澹たる気持ちになる。恐怖心は治まったものの、これからどうしたいいのか、ちょっと分からない。煙草はすぐには止められそうもない。現に、これを書きながら2本吸ってしまった。抗うつ薬のデプロメールと安定剤のソラナックスは明日から飲み始めるようにしよう。さすがに今夜は安定剤を飲む気にはなれない。そんな感じでかなり悲惨な状況。明日から一体どうすればいいのか、今は皆目見当がつかない。
本日の煙草は12本。4時間半も寝込んだのだから当たり前だ。