朝から強烈な抑うつ状態で何も出来ない。何かをすることを頭に思い浮かべただけで、強力なブレーキがかかる。まるで一日中サイドブレーキを引いたままで生きているような感覚。
何もやっていないわけではない。むしろ今日は予定が立て込んでいて、それを淡々とこなし、余計なことまでした。だが、精神的には何もやっていないも同然。本を読む気にすらなれない。したいことが何もない。頭に浮かぶのはただ煙草を吸うことだけ。
結局、母を入院させる決心はつかなかった。それはただのモラトリアムかも知れないし、昨日の日記に書いたような悲愴な決意なのかも知れないが、たぶんそのどちらでもない。僕はただ、感情や気分といったものに流されているだけだ。
昨夜寝たのが遅かったわりには、朝7時半に目が覚め、奇跡的にゴミを出すことが出来た。10時に町内の資料担当者がやってきて、来月からうちの先祖の展示を町の施設でやるということで、書斎にあった小さい木の彫りものとか、彫刻の下絵とかを持って行った。それから電話が鳴って、父の葬儀にも出てくれた、僕が中学のときに好きだった子のお母さん(かつて弟の担任の先生だった)がやってきた。帰り際に、よせばいいのに僕は自分の携帯の電話番号を書いた紙を渡して、娘さんに気が向いたらかけてくださいと言っておいてくださいと頼んでしまった。これが余計なことだ。なにしろ、彼女、えっちゃんとは学生時代、彼女が下北沢に住んでいたころに何度かお茶を飲んだりしたが、その後彼女は地元のテレビ局に就職し、お互いに30を過ぎてから僕が帰省する折に近隣の喫茶店でデートのようなことをしていたのだが、ある日、僕は重大な告白のつもりでえっちゃんに「あと2年待って欲しい」と言った。今となっては何故2年なのかさっぱり分からないし、彼女も「2年……?」と絶句したが、あれからもう20年も経っているのである。かかってくるわけがない。しかし僕はしばらくの間、家にいる間も携帯を肌身離さず持ち歩いて携帯が鳴るのを待ち、ディスプレイに見知らぬ番号が表示されるのを待つのだろう。まったく愚かだ。なまじっか彼女がいまだに独身であることを知ってしまったのがそもそも余計だったのかも知れない。別に初めて恋をした中学生のように胸をときめかせているわけではないが(そこまで愚かではない)、現在この町に住むかつての友人の中で、自分をさらけ出せるとすれば彼女しか思いつかないのだ。それに、これはかなわないことが分かっている不毛な恋心に限りなく近い。ただ、それが何処か凄く遠いところにあるだけである。とてもとても手が届かないような遠いところ。たぶん、この地球上にはもはや存在しないところ。僕に分かっているのは、それが「かつて」存在していたということだけである。
午後はまず福祉施設の人が来て、デイサービスの予定を置いていった。このときまでまだ僕は歯切れが悪く、母は入院するかも知れないのでまだ予定は分からないと告げた。2時ごろには証券会社の人間がやってきて、母の豪ドル建ての社債を解約できるように、母に委任状を書いてもらった。
3時には母の病院。珍しく行ったらすぐに呼ばれた。今日は僕の集中力がなく、医者の言っていることの半分ぐらいしか聞いていなかったが(隣の看護師の詰所がうるさかったせいもある)、どうやら医者はまた入院を勧めていたようでもあるが、結局また薬が増えた。僕が効果がなく、悪い方に安定していると言ったにも関わらず、リーマスが1錠増えてさらにデパケンという、スタビライザーばかり。どうにも意図の分からない処方だが、医者が言うには母の状態は薬と関係がなく、病状の変化であるということなので、またよくなるのを待つしかないようだ。
処方薬局で薬を受け取り、最近母が髪が伸びたと気にしていたので帰りがけに1000円カットに寄り母の髪を切ってもらい、その足でガソリンスタンドでガソリンを入れ、スーパーに寄って夕飯の買い物をした。
忙しい一日である。しかし、僕は本当に何も出来なかった。今日はソファで寝ておらず、証券会社の人間が来る前に椅子でうとうとしたのと、夕飯前に台所の椅子を2つ並べて少々寝たぐらい。何故か今日はまともに寝ることすら出来ないという気がした。
今日の煙草は22本。ホントに本を読みたいという気持ちが湧かない。どうしたらいいのだろう。昨夜、評判の高かったU-17日本代表がベスト16でスウェーデンに敗れてしまったのにもかなり気落ちした。こんな何も出来ない気分のままで眠れるのだろうか。かといって、何をしたらいいのか分からないまま、今夜もずるずると起きているのだろうか。
いつか、電話は鳴るのだろうか。