野球

今日も気がつくと野球ばかり見ていた。別に宗旨替えしたわけでもないし、テレビにかじりついて見ているわけでもないのだが。それでも最後のバッターを三振に切ってとってワールドシリーズ優勝を決め、右手の人差指を突き上げる上原にはぐっときたし、楽天の則本が最後のバッターを打ち取ったときに思わず拍手なんぞをしていた。困ったものである。僕はホントに心の底から巨人というチームが嫌いで、あのユニフォームを見るだけで嫌なのだが、上原に関しては彼が日本で投げているころには既に日本の野球をまったく見ていなかったのであまり「上原=巨人」というイメージがない。そもそも、僕は子供のころは巨人ファンだった。「巨人の星」も見ていた。なにしろ、当時野球のテレビ中継は巨人の試合しかなかったのである。アンチ巨人になったのは大人になってから(正確には二十歳のころから)である。あの、勝って当たり前という傲慢さがどうにも我慢ならなくなった。「勝つことを義務づけられている」だの、「盟主」だのという特権意識がはなはだ嫌だ。今日の中継でもいまだにV9がどうたら言ってるし(一体いつの話だ?)、何かにつけて「王者巨人」だのと言っている。ああ嫌だ。大体において、さっきシャワーを浴びていてふと思ったのだけれど、どうして日本の野球チームはいまだに企業名をつけているのだ? 別に「東京ジャイアンツ」「大阪タイガース」とかでいいではないか。ナビスコカップを「Jリーグカップ」と敢えて呼ぶNHKが野球に限ってはヤクルトだの日本ハムだのと企業名を連呼するのはどうなのか。で、なんで日本の野球の応援は皆2拍子なのか。いまだに軍歌を引き摺っているのか。どうして野球の球場だけ戦時中を引き摺っているのか。こういうのを総じて、僕は日本の野球を田舎野球と呼んでいるわけである。

かといって、メジャーリーグがすべていいと言うわけでもない。ニューヨークでメジャーリーグサッカーの中継をテレビで見ていても思ったけれど、とにかくアメリカのスポーツは広告がやたらと多い。多過ぎる。コマーシャリズムにどっぷり浸かり過ぎている。エンターテインメントに徹していると言えなくもないが、あれはあれで違和感を覚える。

朝目が覚めたら8時45分を回っていて、久しぶりに7時間近く寝た。そのせいなのか、久々に今日は朝から抑うつ状態ではなく、気分が比較的よかった。今日の母は台所の流しの脇に置いてあるタッパーウェアに一日中拘っていた。どうも母の固執するものは日々微妙に変化する。いずれにしても統合失調症の陽性反応、被害妄想だろう。それでもトータルでは今日の母はまずまず悪くなかった。業務中、昼過ぎに母の携帯に電話してみると出たし。どうやらタッパーウェアに気を取られて、例の携帯が繋がらない云々まで頭が回らなかっただけかも知れないが、かなりほっとする。3時過ぎに帰宅してみると、少しではあるが昼食も摂っていたし。

今日も夕方にソファで昼寝。抑うつ状態は酷くなかったが、いまだに前向き、生産的な方向には頭が向かない。よって、まだ何も出来ないし、アイディアが浮かばない。

今日の煙草は23本。もちろん、えっちゃんからはいまだに電話はない。当たり前である。

ひっそりとgambling awayを更新。


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