零度、悼む人

どうも朝寒いと思ったら、夕方のニュースで今日の山形は場所によって最低気温が零度を下回り、初霜、初氷だったということだった。

結局母はデイサービスに行き、僕は業務から帰宅後、寝る、寝る、寝る。ひたすら眠り続ける。もうこのまま永遠に寝続けたいと思った。今日も母はときおり妙なことを口走る。昨日から異常にこだわっているのは、昨夜コタツを作ったときに夏用の座布団カバーを外せなかった(結局僕が外した)ことで、今日も一日中そのことばかり。いくら僕がそれはもう済んだと言っても何度も同じことを言う。エトセトラ、エトセトラ。

昨夜の日記を書いているときは完全にラリっていたが、今日も夕食後にレキソタンを飲んだらラリった。最近安定剤効かないとずっと言っていたのだが、抑うつ状態が酷いときに妙に効き過ぎたりするのが不思議だ。昨夜は一錠多く飲んだからまだ分かるが、今日はいつも通り飲んだだけなのに。

朝起きたときはある程度リセット出来たように思えたのだが、夜になるに連れてうつが酷くなる。どんどん袋小路に入っていき、身動きが取れなくなる。強烈な閉塞感、厭世観、その他それに類するものすべて。

夕食後にラリって台所の椅子に横になっていたら心臓の辺りが急に痛くなり、もしかしたらこのまま死ぬかもしれないな、と思った。昨日からずっと強烈な希死念慮に捕らわれているので。で、もし僕が死んだら、親戚やら友人やらはまだ若いのに可哀想と嘆くのだろうなと想像し、しかし、それは死んでしまった僕にとっては何の意味も為さないということに気づいた。つまり、死者を悼むことは悼む人自身のためであって、その人の自意識の中で完結している感情に過ぎない。死者はそれを認知出来ない。どうりで仏壇に毎日祈っても効果がないわけである。もはや存在しない人に頼んだり頼ったりすること自体ナンセンスだ。

というようなことを考え、ますます無常観のようなものが。

結局は世界というものは個々人の自意識の中で完結しているのではないか。

などと。

なんか普通のブログみたいに行間を開けてしまった。こういうの嫌いなのだが。今日の煙草は21本。眠りたい。眠り続けたい。何をしたらいいのか皆目分からないから。

I泉さんは相変わらず電話に出ない。もう半年連絡が取れない。出ないなら出ないで、理由が知りたい。


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