昨日の続きで、
普遍性とか永遠は、僕ら自身にとってただの概念、もっと突き詰めれば言葉にしか過ぎないのではないか。世界が主観的にしか存在しないのであれば、「絶対」も意味をなさなくなる。もし時間が永遠なのであれば、僕らは限りなく無に近いと言える。
— Sukeza Takayama (@anykindoflove) November 10, 2013
とかいうようなことばかり考える。
父の死以降、僕は自分の死よりも他者の死の方を怖れるようになった。つまり、喪失を怖れている。
前述のツイートを補足すれば、時間が永遠に続くとすれば、僕らの生きている間はほんの一瞬であって、したがって僕らの世界はほんの一瞬を切り取ったものに過ぎず、限りなく無に近づく、ということ。ところが僕らにとってはそれがすべてである。その、限りなく無に近い一瞬の中での普遍性や絶対や永遠なんて、ただの指標、形骸、言葉にしか過ぎないのではないか、と。つまり、そもそも意味をなさないのではないかと。
こんなことばかり考えるのは、困ったことに例によって午後にソファで昼寝をすると、このところ悪夢ばかり見るからだ。それで夕方以降は不安感に苛まれる。ならば昼寝をしなければいいではないか、というところなのだけれど、なんていうか、最近はフリーズしてしまうというか思考停止してしまうというか、何をしたらいいのか分からなくなる。それで無理やり寝に入る、というパターンが続いている。何か上手いこと、悪夢を見ないで済む方法はないものだろうか。
いまさらながら前述のロジックは詭弁のような気がしてきた。だが、僕らが確かだと言えるのは、今この瞬間に自分自身が存在しているということだけだという気はする。
それにしても寒い。予報によると明日から雪。雨という予報もあるが。2時半まで業務、午後昼寝、夜不安感、母はそれなり、今日の煙草は22本。何も出来ないのは相変わらず。