精神科医の仕事

5月17日、日曜日。

9時前に近所の人がつなぎ銭(不幸があると町内会で一戸10円を集める慣習)を集めにきて起こされた。やっぱり朝から闇雲にダルい。それに、7時間近く寝ているにも関わらずあくびばかり出る。何をしようかと考えているうちに午前中は終了、何やら天気はいいので体力をつけないとと思って散歩に出る。行きがけに、10年前に2000円ぐらいで買った腕時計のベルトが壊れたので、もう10年以上使っていないG-SHOCKを近所の時計屋に電池交換に出した。川沿いを歩くも、いつもの山の麓まで行く根性は今日はなく、途中で引き返す。計45分程度の散歩だけれど、先日から膝に来ているので帰宅するころには疲労困憊、情けない。

いろいろ考えた末にやはり裏のお爺さんの見送りには出た方がいいと思い、母のところには2時過ぎに顔を出して見送りの3時に間に合うように帰宅、するとうちの前にはもう近隣の人が集まっていた。母は見送りには喪服を着た方がいいとか言っていたけれど、みんな平服だった。時間が来ると出てきた霊柩車に手を合わせて終了、なんかあっという間だった。

4時に精神科の予約が入っているので、その前に時計屋にG-SHOCKを取りに行くと、店のお爺ちゃんはまだ何やらいじっていて、電池は入ったもののライトが点かない。というかお爺ちゃん、直すとかいう以前にネジを2つなくしたらしく、元にすら戻せない。じっと様子を傍らで見ていたけれどそろそろ医者の時間なので、「もう捨てるからいいです、電池は外してください」と言って、結局元に戻らなかったままで受け取り、「手間賃はいくらですか?」と訊ねると「いらない」ということ。それはまあそうである。結果的には壊したも同然なので。ただ何時間も格闘したので申し訳ないような気もした。このお爺ちゃんは発音そのものが訛っているので、何を喋っているのかは半分も聞き取れなかった。

壊れたG-SHOCKをポケットに突っこんで、慌てて小走りで家に戻り車を出し、精神科に。このところの体調不良、呼吸器やら循環器やら血液検査やら何をしても異常がなかったことを話すと、精神科医の方も手詰まりで苦肉の策なのであろう、漢方薬を処方された。これが1日3回。物凄く大量の薬を処方薬局で受け取って、帰りがけにスーパーで買い物して帰宅。

それにしても毎回毎回、精神科に行くたびに体調も精神状態もよくないと言い続けているし、今回もどうやら抑うつ状態のようだと訴えているのだけれど、精神科医の方ももはや手立てがないという感じで、さじを投げているわけではないけれどこれといった妙案や解決策どころか、治療方針すら出て来ない。安定剤にしても飲んだり飲まなかったりでいいのか、続けて飲んだ方がいいのかと訊ねても、飲んで効かないのだったら自分の判断で、というようにどうにも歯切れが悪い。こうなるとなんていうか、精神科っていうのは治すことが仕事ではないのかもしれないという疑念まで浮かんでくる。感覚としては単に相談しにいっている感覚。医者の方はひとまず同じ薬を出す、あるいは今日のように無難な薬を出すという感じで、なんというか治すよりも責任を負わないことが第一という印象を受ける。まあ言い方を変えれば無責任にこれで治りますと言わないだけ良心的なのかもしれず、実際問題として睡眠薬をもらわないと眠れないようになってしまっているのである程度同じ薬を出してもらうだけでもいいと言えばいいのだが、これではいつまで経っても同じなんじゃないかと思ってしまう。

夜はまた煮詰まる。例によって何をしたらいいのか分からなくなり、なんとかhuluでドラマ「Utopia -ユートピア―」のシーズン1の最終話を見るがまたぞろ冷え性が全開になってきて寒くてしょうがない。夜になって気温が下がったのかなと台所の温度計を見ると23度もある。なんでこれで寒いんだと唖然。寒いし何をしたらいいのか分からないしで、気分転換に隣町のモスバーガーに行って珈琲飲みながら本でも読もうかと思うも、考えてみれば自分で淹れた珈琲の方が明らかに美味しいわけだし、この台所で珈琲を飲んでも変わらないんじゃないかと思い直す。で、台所で珈琲を飲みながらちょろちょろギターを弾いていたりしていたのだが、そのうちふと思いついてメールソフトの受信箱から不要なメールを削除し始めた。すると、これが唖然とするほどたくさんあって、なんでこんなものを残しておいたのだろうと首を傾げるものばかり、片っ端から削除していくと結構時間がかかった。

そんなことをしている間に世の中では大阪都構想の住民投票というものが開票されていたらしく、僕がようやっと不要メールを削除し終わったころには既に反対多数という結果が出ていた。こういうところはテレビを見る習慣がないので世の中にまったくついていけてない。そもそも大阪都構想というものがどういう発想でどんなものかも知らないし、今日選挙だったことも知らなかった。ツイッターのタイムラインを見ていればそこそこ世間についていけるだろうと思っていたのだが、こうしてみるとどうやらそうでもなさそうだ。自分が世間から取り残されているというよりも、僕を取り残して世の中が勝手に進んでいくという感覚。

明日は午後に裏のお爺さんの葬儀に出る予定。それにしても冷え性には参る。

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