大往生

5月16日、土曜日。

どういうわけか朝7時の寺の鐘で目が覚めた。寝直すと、誰か見知らぬ女性とねんごろになるという結構な夢を見て9時ごろに起きる。相変わらず朝から疲労困憊している。午前中は昨日までより少し気温が下がり、涼しい気がした。今日は2時に車を6ヶ月点検に出す予定があり、その後はJリーグの試合を見るつもりだがそれまでをどうするか。

というわけで10時過ぎに久々に業務に行ってみた。混んでいるかと思いきや、そうでもなかった。久しぶりにやってみると、ストレスばかりが溜まり、一体こんなもののどこが面白いと思って10年も20年もやっていたのだろうかと思う。煙草銭を稼いでディーラーに点検に。

点検は30分ほどで終了、特に問題はなく帰宅。台所でJリーグの鹿島対広島の試合をネットで見ていると、町内会の区長がやってきて裏のお爺さんが亡くなったので6時に集まるようにとの知らせ。どうりで脇の私道に見慣れぬ車がずっと停まっているわけである。この辺は町内会の中でもさらに隣組という近所が寄り集まって、葬儀のときの受付やらを手伝う段取りを決める慣習になっている。

6時に裏の家を訪ねる。父のときは隣組が自宅に集まったとき、そっちは弟に任せて僕は母を病院に連れていっていたので、この手の寄合は初参加。ということでまずご遺体を拝んで線香を上げるのを忘れて近所の人に注意される。恥ずかしい。今の体調・体力では葬儀の受付を何時間も出来るとは思えず、手を挙げることも出来ずに身を縮めて肩身の狭い思いをした。集まった中では僕が一番若い男なのでどういう風に見られただろうか。父のときに受付を近所の人に手伝ってもらっている手前、非常に心苦しい。

裏のお爺さんは102歳の大往生なので、葬儀の打ち合わせといっても沈鬱な雰囲気はなく、むしろ和やかといってよかった。息子さん夫婦も憔悴している気配はまるでない。先日、脇の私道にはみ出している木の件で、ことを荒立ててひと悶着起こさなくて本当によかったと思う。こういうことがあるから近所付き合いは波風立たないようにやっていかなければならない。そういう考え方自体は好きになれないのだが、そうしないといずれ物凄く気まずくなってしまう。生きにくくなる。

耳がまったく聞こえなかった裏のお爺さんとは一度だけ声を交わしたことがある。102歳の生涯というのはどういうものなのか、ちょっと想像がつかない。不思議なことに、このところずっと毎日毎日自分が死ぬことを想像しているにも関わらず、裏の知らないわけではない人が亡くなったというのに、実際のところまったく他人事にしか思えないのだった。そういえば3年前に癌だと告げられて医者にあと何年生きられますかと訊ねていたときも、どこか他人事のような感覚だった。

葬儀の打ち合わせを終えてすぐに出かけるというのは何か気が引けたけれど、車で町内の本屋に行って今1巻の途中まで読んでいる宮部みゆき「ソロモンの偽証」の2巻を買い、その足でラーメン屋に寄って味噌ネギラーメンの夕飯。

帰宅後はJリーグの名古屋対鳥栖の試合をちらちらと見ながらなんとなくジャズギターの練習。昼間は暑かったのだが夕方から夜にかけて気温が少し下がり涼しくなったのだけれど、夜になってまた冷え性が全開、特に足が冷えてどうしようもなくなる。台所の温度計を見ると21度、昨日と1度か2度しか変わらない。この辺が自分の身体ながらまったく訳の分からないところである。とにかく、どんどん寒くてしょうがなくなり風呂に入るしかなくなるのだった。

裏のお爺さんの葬儀は明後日。明日は3時に見送りなのだが、4時に精神科の診察があってその前に母のところに寄りたいので行けないかも。うちが一番近いのでこういうのに出ないとどう思われるだろうかといちいち気になって実に窮屈だ。

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