憔悴

5月27日、水曜日。

心底参っている。憔悴しきっている。顔面蒼白。二日続けて縁切りのようなことをして、こんな風に人を傷つけて平気でいられるわけがない。しかしながら、30年以上前のことをいまだに引っ張り出して、身体的にも精神的にも弱り切っているところに感情的なちょっかいを出されるのはもう御免だった。もう限界だった。これ以上神経を逆なでされることに耐えられなかった。ただでさえ年々友人が一人減り二人減りとしていって世の中から孤立していくような気がする上に、実家に篭っていて新たな友人と出会える見込みもあまりない今の状況でこういう風に自分から切るようなことをするのは本当にしんどい。いわゆる大人の対応ではないと思う。ただ、僕はあまりにも追い詰められていて、これ以上素知らぬ顔でやり過ごすことは出来なかった。

30年前、僕はただ裏切られ、こっ酷くふられただけだ。それから30年経って、いまさらこれ以上何を欲しいというのか。

僕はもう学生時代のスケザではない。あれから一歩もその場を動いてないわけではないのだ。僕には僕の人生がある。それは学生時代から30年あったし、今ここにあるわけで、あなたの頭の中にあるわけではないのだ。僕は偶像ではなくて、ただの一人の人間だ。

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朝7時20分に電話が鳴って起こされた。何かと思って出てみると、やたらと訛っている老人の声だ。こちらから訊ねないと名乗りもしないし、初めて話すのに敬語を使おうともしない。失礼なこと極まりない。いくら田舎とはいえ、こんな時間に緊急の連絡でもないのに電話するのは非常識だ。どうやら母の教え子らしいが、だったらなおさらである。

もう一度布団に潜り込んで寝直そうとしたが、電話を切ってからも腹が立ってなかなか寝付けなかった。それでもいつの間にか寝たようで10時近くに起きた。

弱り目に祟り目というか、嫌なことというのは連鎖する。昨夜長年愛用してきた椅子が壊れてしまった。どうしてこのタイミングなのか。分解して車に積み、ゴミ処理場に持って行く。

午後2時から特養で母の誕生会。2時ジャストに到着すると、少し遅れて誕生会は始まった。40分ほどでようやく終わったかに思えたが、それから場所を変えてゲスト(地元のアマチュアのようだった)を迎えての余興の歌と踊り。これが延々と続いて終わらない。調子っぱずれの歌と退屈極まりない踊りがいつ終わるともなく続く。永遠に続くのではないかと思われて気が遠くなる。ようやく終わったのは1時間以上経ってからだった。疲れ果てる。まったく地獄だった。母が僕に気を使うほど、僕は憔悴しきっていた。

4時近くになってようやく帰宅。疲れ切って台所で一服。見ると、午前中に置いておいた相場の指値がひとつ成立していた。なんだか相場のポジションを持つのが随分久しぶりに思える。

その後は延々と頭の中が冒頭の堂々巡りに陥り、つまり人を傷つけてしまったという後悔と、理不尽さとが頭の中で果てしなく渦巻く。いたたまれずに、夕食後に早々に相場のポジションは利食いをして手仕舞いしてしまった。以降、ただひたすらげっそりしていくばかり。物凄い喪失感。なんでこうなってしまったのか、そればかりを考える。頭をなんとか切り替えることができるのは本を読んでいる間ぐらいしかなく、それもあまり長くは続かない。果たして自分はこれを吹っ切れるのだろうかという疑念ばかりが湧いてくる。早く忘れてしまいたい。

元妻の顔はほとんど忘れてしまった。その存在を思い出すこともあまりない。元妻はその嫉妬深さ故に僕の携帯の着信履歴を勝手に見ては勝手に番号を削除し、僕に届いた手紙を勝手に開封して破り捨て、気分屋であるが故に新しい彼氏ができた途端に僕をゴキブリのように扱った。だから僕はもう元妻の顔を思い出せないし、自分がかつて結婚していたこともときどき忘れてしまう。

そんな風に、もう忘れてしまいたい。僕には僕の人生があるのだから、また新たな友人と出会いたい。そっちの方を向きたい。

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