思い出

9月16日、水曜日。

母のところからの帰り道、どういうわけか頭の中を山下達郎の「MONDAY BLUE」が流れていた。それで帰宅後、改めて「MONDAY BLUE」を久しぶりに聴いてみた。

―― 二度と帰ることもないね もうこの街にも ――

なんだか武蔵浦和を思い出して泣きそうになった。

最近、やたらと悲観的になっていることもあって、思い出というものは意味がないのではという疑念を持っていた。だがしかし、意味はあるのだ。14・5年住んだ用賀(瀬田)のアパート時代は、今考えてみると夢のように楽しかった。その後に移り住んだ武蔵浦和のマンション時代はなんだか寂しかった。遊歩道が目の前で環境にも恵まれていたし、一人暮らしには贅沢なほど広かった。しかし、僕はよくベランダの手すりの角の上に乗ってぼんやりした。僕はそこを世界の果てと呼んでいた。武蔵浦和に移ったころからうつが酷くなったということもある。とにかく、僕は武蔵浦和にいるころは寂しかった。そういうことが胸を去来して、万感迫る感じがした。感極まりそうになり、実際ちょっと涙ぐんだ。音楽を聴いて泣きそうになるなんて実に久しぶりだ。それで、思い出というものはとてもとても大切なものだということを思い出した。例えそれがかりそめの夢のようなものであってもだ。

もちろん、また武蔵浦和も用賀も訪れることはできる。しかし、「帰る」ことはもうできないのだなと思う。

実際のところ、武蔵浦和時代よりも今の方がずっと寂しい。生まれてから一番孤独だと思う。こんなにひとりぼっちだと思ったことはないし、ついでを言えばこんなに体調が悪かったこともないように思う。なんだか今が一番辛いような気がするが、人間なんていつもそんなものなのかもしれない。

ところで、僕は達郎とは面識がない。これは考えてみればちょっと不思議だ。僕がマネージャーをやっていた新川と椎名がスタジオを作ったとき、テレビを寄贈してくれたのは達郎だったし、達郎のマネージャーは弟のサークルの同級生だった。事務所を訪ねて、夫人の竹内まりやに曲を依頼したこともある。もちろん、ライブを見に行ったこともある。だが僕は一度も達郎夫婦と会ったことがない。

今日も闇雲に二度寝して9時台に起きた。だがやっぱりすっきりしなかった。午前中は相場に手を出せない気がして、業務に行った。スターウォーズ。ちょっとスペックが厳し過ぎる。3時過ぎに一旦帰宅。途中ストレスで手が痺れてきたので安定剤のレキソタンを1錠飲んだらぐらぐらになってしまった。帰宅後眠気が凄くソファに横になるが今日は4時に精神科の予約が入っているので寝ることもできない。

精神科の診察室ではいまだに安定剤でぐらぐらだし顔面蒼白な感じだった。もう安定剤はこりごりだと思った。その辺を医師に話すと、ベンゾジアゼピン系(安定剤・睡眠薬)が効き過ぎている嫌いもあるということで、ベンゾジアゼピン系ではない新しい睡眠薬を処方された。要するに、このところの日中の眠気が、睡眠薬が残っている可能性があるというわけだ。

本来なら今日は夜まで相場は自重するつもりだった。それが、母のところに行く直前につい出来心からポジションを持ってしまった。出かける前にポジションを取るというのは最近のルールに反する。案の定、母のところから戻って夕飯の支度をしているとストップを食らってしまった。今年になってからの自分の相場を振り返って、ルールをもっときちんと守らなければというか、ルールさえ守っていれば実はもっと上手く行っていることに気づいた。そのルールからいえば、このストップを食らったところで今日はもう手を出さないということになる。ところが、そう思いついたその日にポジションを取り直してしまった。まあ結果的にはこれでトータルプラスに転じたわけで結果オーライなのだけれど、以後、ルールはきちんと守らないと仮説を立てた意味がない。ちなみに今日もチキンだった。つまり、もう少し粘ればもっとプラスを伸ばせた。

母のところでテレビのニュースを見て、今日にも安保法案が採決されそうということに気づいて驚いた。ツイッターのタイムラインを追っているつもりだったがそれまで気づかなかった。帰宅後の夜、NHKをつけっ放しにしてしばらく様子を見ていた。たまにテレビをつけっ放しにしていると、爆笑問題が釜ヶ崎を紹介する番組とかをやっていて案外と面白かったり。

いずれにせよ、何かと世の中は騒々しい。思い出に浸れるのも束の間。

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