孤高の人

omizuke
先日ニシダが持ってきてくれたおみ漬け。すんごく美味い。

11月27日、金曜日。

雨、雨、雨。

今日は一歩も外に出ていない。今月一杯母のところは面会制限だし、今日は朝からずっと土砂降りの雨だったのでしょうがないのか。夜になって、今日は誰とも一言も言葉を交わしてないと気づき唖然とした。

いや、一言だけ発した。午後、昨日注文した珈琲の生豆が届き、郵便局の配達員に対して「はい」と言った。今日僕が発したのはその一言だけだった。

なんだかそういうことがたまらなくなって、夜中に誰かと電話で話したくなり、キーボードのヤマザキとかつての会社の同僚であるヒビヤに電話してみたが発信音が鳴っているうちに切った。何を話していいものやら、まったく分からなかったからである。それになんだか近ごろは昔と違って深夜に電話をするのがやけに気が引ける。逆に言えば昔は深夜の0時過ぎによく平気で電話していたものだなあと思う。そういうことって都心に住んでいるとあまり気にならないが、田舎に住むようになってから気になるようになってきた。何しろ田舎の夜は静かだ。

いずれにせよ、孤独だなあと思う。何か自分が物凄く寂しい人生を送っているような気がしてくる。

一応今日も仕事はそれなりにした。午前中は眠くてコタツでうとうとしたが、午後から相場のポジションを持ってはらはらしながらも夜に決済。またちびってしまったけれど。

会社勤めの人で在宅勤務に憧れている人はたくさんいるのだろうけど、実際問題として在宅の仕事というのは身体的には楽かもしれないが、精神的にはむしろかえってきついと思う。家族と一緒に住んでいる人ならまだしも、一人の場合には。誰とも話さず、誰とも接しないで一日を過ごすのは寂しがり屋の僕にはしんどい。普通に煮詰まる。

夜になってBSで白川郷の番組を見た。感心することしきり。茅葺きの合掌造りを維持することの大変さ。雪深い山奥での生活。一軒の家のカヤの葺き替えに村中総出でやるのには驚いた。自分の住んでいるところを田舎だと常々思っているけれど、世の中にはまだまだここ以上に田舎なところがたくさんあるのだなと思う。

そういえば以前正月に帰省する折に、新幹線で県境を超えると米沢の辺りでは道の両側に雪が壁のようになっており、どうして人間はあんなに雪が積もるところにわざわざ住むのだろうなどと思っていた。山形でも田麦俣という合掌造りで有名な月山の奥にある集落があるけれど、大井沢とか肘折温泉とか、2mとか3mとか雪が積もるところでは一体どうやって冬を過ごしているのだろうと常々不思議に思っていた。今日見た番組では3階建てぐらいの高さがある合掌造りの屋根のてっぺんに上って雪下ろしをしているのに衝撃を覚えた。僕は高所恐怖症だから。実家に戻って3年目、いまだに母屋の雪下ろしをしたことがない。高いところも苦手だしそれ以上に体力に自信がない。つくづく豪雪地帯では体力が必要と痛感。

で、いまさらながら夜中にちょこっと腕立て伏せとスクワットをしてみる。すぐへばる。まあここは豪雪地帯ではないので。

それからアマゾンのプライムビデオで40年振りにドラマ「悪魔のようなあいつ」の第一話を見てみた。脚本は長谷川和彦だった。リアルタイムで見たときもなんとなく嫌な話だと思った記憶がうっすらとあったが、改めて見ると藤竜也を始めとした役者陣の演技が大根過ぎて興ざめ。それに話や設定がスキャンダラスでエキセントリックなものを狙ったのだろうけど、正直見ていて不快だった。以降見る気が失せる。昔のドラマってこんなだったのか。若いころの沢田研二はびっくりするほどハンサム。

それにしてもどうして今日はこう寂しいと思ったのだろうか。そもそもロクに近所付き合いもしない一人暮らしをしているのだから、寂しいと思い始めたら切りがない。どこかコミュニケーションに飢えているのかな。

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