年賀状というもの

12月20日、日曜日。

3時就寝、10時前起床。今日も間欠的に睡魔が襲ってくる。本日は晴れていて雪もちらつかなかった。もしかしたらこのまま雪かきをせずに正月を迎えられるかも、みたいな幻想を抱きそうになるが、帳尻合わせが来るのが怖い。

今日も煮詰まる。というか、基本的に休日は煮詰まるのだった。何をしたらいいのか分からなくなる。昼頃にアマゾンから油汚れ用の洗剤が届いたので換気扇周りの掃除。午後になってドレッシングとマーガリンを買いに車で隣町の業務スーパーに出かけ、隣の靴屋で冬用のブーツを衝動買い。

帰宅後クラブワールドカップの3位決定戦、広島対広州を見る。広島がドウグラスの2発で逆転勝ちで3位。準決勝との違いは、浅野とドウグラスがいい仕事をしたという点。広島はよくやったと思うが、シュート力とかゴール前でのクリアの甘さとかもどかしさは残る。

夜は母のところから帰宅後に決勝のバルセロナ対リーベル・プレートの試合を見たが、これはメッシ、ネイマール、スアレス、イニエスタとメンバーが揃っているバルサが当たり前のように3-0で圧勝。なんかもうこうなるとずるいという気がしてしまう。折しも日中、ツイッターのタイムラインにネイマールが表参道の腕時計店で2000万の爆買いをしたという情報が流れてきた。ネイマールの年収は48億円らしい。一体全体、MSNの3人の年俸だけでいくらなのか。これはもうメンバー構成的に不公平と言いたくなる。

気がつくともうすぐクリスマス、はどうでもいいのだが年末が近づいている。というわけで今日は年賀状を作った。作ったといってもワードのテンプレートから一番シンプルで無難な奴を選んだだけである。基本的に毎年年賀状は最低限しか出さない。まあ4枚で事足りるだろうと思っていたら、今年もらった年賀状を一応チェックすると一人知らない人(たぶん親戚かなんかだと思う)から来ていたので追加。

日中年賀状を印刷して夜宛名書きをしていて、ふと久しぶりに松任谷夫妻に年賀状を出そうかと思いついた。というのも昨夜NHKの「SONGS」という番組で久々にユーミンを見たからである。久しぶりに見るユーミンは随分と老け込んでいた。声もまた一段と低くなっていた。松任谷夫妻とは熊谷(幸子)の結婚式以来だから15年ぐらい会ってないし、最後に電話で話したのももう10年ぐらい前だ。

世の中には二通りの人間がいる。電話に出る人間と出ない人間である。で、ユカリは出る方の人間だ。というわけで、これまた実に久しぶりに夜ユカリと電話で話した。ユカリは会社(雲母社)の元同僚(元々松任谷さんのマネージャー)で僕が辞めた後に僕からディレクターを引き継いだ。ユカリと話すのも数年振りである。

話してみるとユカリはまだ会社にはいるものの、もうディレクターはやっていないそうだ。何しろ久しぶりなのであれこれ話が弾む。旧松任谷宅を武部が買い取ったという情報はガセであることが判明、いまだに夫妻が所有しているとのこと。で、夫妻の新しい住所と電話番号を聞いた。なので、今年(来年?)は久方ぶりに松任谷夫妻に年賀状を出すことに。

こういうことは実に異例だ。前述のように基本的に僕は年賀状を出さないタイプの人間だから。放っておいても年賀状が届くであろう人にしか出さない。年賀状というもの、もらうと書かなければならず、それが実に日本人的でめんどくさいなあと常々思っていた。普通に考えれば、もらった人には出すという構造的側面から考えると年々増える一方になるはずである。これがここまで減ったということは、どこかのタイミングでもらったのに出さないという不義理を繰り返したということなのだが、そこら辺の記憶があまりない。なんつーか、いつの間にか気がつくと今の枚数になっていた。たぶん、自分からは出さずにもらった人にだけ出すということを長年繰り返した結果なのだと思う。基本的に今でもそのスタンスなのでどんどん増やすつもりなど毛頭ないのだけれど。

まあそんなこんなで年賀状というものはいずれにしてもめんどくさい代物だとは思う。もらったら嬉しいのだけれど、自分が出したのに来ないとビミョーみたいな。義理と不義理の擦れ違い。

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