1月31日、日曜日。
夜になってショッキングなニュースが飛び込んできた。ギターのまっつぁん(松原正樹)が末期がんで死の床に就いているという。まっつぁんは今61歳だが、62歳になることはないだろう。そういえば佐藤博も61歳で亡くなった。
もうスタジオの現場を離れて15年近くになるけれど、かつては随分長い間スタジオでのファーストチョイスはギターが松原か今、ドラムとベースは青純・広規か山木・大仏だった。青純は既に亡くなり、まっつぁんもその人生を閉じようとしている。
まっつぁんは普通のスタジオワークだけでなく、(斎藤)ノブとか新川とやっていたAKA-GUYとかでも一緒に仕事をしたし、ユーミンの国内レコーディングでもギターのファーストチョイスだった。パラシュートの残党、つまりスタジオミュージシャンが集まったバンドであるAKA-GUYは全員血だらけになるまで飲むので、ライブの打ち上げは僕はいつも顔を出さずに逃げていた。当時僕は新川のマネージャーをやっていた。AKA-GUYが冬に河口湖のスタジオで合宿して大雪で帰京できなくなり、8-6-4-4-2の大編成のストリングスのレコーディングが飛んでしまい大雪の日に今はなき日音スタジオに行って弦の人一人一人に頭を下げたことを思い出す。当時はスタジオ代だけでも時間4万とかした時代。それがよりによってバーニングの仕事で、電話で謝ったら怒鳴りつけられて謝罪に来いと恫喝された。行かなかったけれど。
ちなみにAKA-GUYのリーダーはパーカッションのノブで、他のメンバーはドラムの島ちゃん(島村英二)、ベースのミッチー(長岡道夫)、キーボードが新川、ギターがまっつぁん、ボーカルが浜田良美と当時ノブの彼女だった世詞古。レーベルはフォーライフで、売れなかったな。
どうでもいいことだけれど、学生時代に吉田拓郎のラジオ番組主催のオーディションで六本木ピットインで演奏したとき、島ちゃんがゲスト審査員だった。僕は入賞できなかったけれど、島ちゃんはこっちを振り向いてコメントしてくれたことを思い出す。