二日分の日記

sky5

2月10日~2月11日。

昨日日記を書くのをさぼってしまったので二日分の日記。

まず昨日の2月10日だが、業務中の午後、特養から母が昼食後に椅子から立ち上がった際に気分が悪くなったという連絡があった。一種の立ちくらみのようなものなのか、以前(3年前)朝食時に意識を失ったときは血圧が急に下がったのではないかという医師の話だったが、今回の場合は直後に血圧を計ったら逆に高かったという。じき血圧は元に戻ったらしいが。

とにかく心配なので業務を切りあげて母のところに行く。今回は部屋で面会してもいいということ。見たところ母は少し疲れているようだが落ち着いていて特に変わったところはない。寝ているのかなと思ってベッドの傍らでじっとしていると、ときおり目を開けて物凄く優しい笑顔を見せる。話すこともしっかりしているのだが、なんだかよく分からないだけに心配ではあった。

1時間ほどいて帰宅。母のことが心配でたまらないので気を紛らわせるために相場。これがドツボにはまり、結局深夜のニューヨークタイムまでじたばたして日記を書き損ねた。ボラティリティが大きくて難解な相場に振り回され損切りしまくって大敗。すっかり疲れ切って日記を書く気力も失ってしまった。

ところで年寄り臭い話なのだが先週辺りから頻尿でやたらとトイレが近く、今朝も6時ごろにトイレに目が覚めた。二度寝三度寝して9時ごろに起きる。

今日(2月11日)は冒頭の写真のように素晴らしく晴れていて、驚いたことに日中はぽかぽかとあったかいぐらいだった。雪も少ないし、今年の冬は一体どうしたことだろう。いや、有難いことなんだけれど。

昨夜持ち越した相場のポジションは朝起きてみるとストップを食らっていた。午前中はまたも相場でストップを食らう。少々疲れたので午後は気を取り直してポジションを持ったまま休憩、今日も母のところに面会に行く。今日も部屋で面会していいということだったし。

今日はどうかと母に訊ねると、まだ気持ち悪いという。見た感じ顔色もよく表情もいいのだけれど、やはり心配でたまらなくなる。母の記憶は怪しくて、今は気持ち悪くないというのでいつなのか訊ねても判然としない。吐いたというのだけれどその形跡はなく帰りがけに職員に訊いたら吐いてはいないという。恐らく昨日気分が悪くなったときの吐き気の記憶のせいだろうか。帰り際に母は僕の手を強く握って素晴らしくいい笑顔を見せた。僕は後ろ髪を引かれる思いで帰宅した。

帰宅後はまた相場のチャートに貼りつく。なにしろ大きく動くので気が気ではない。夕方の欧州時間になってようやく予想通りドル売りの方向に大きく動いて、これは想像以上に動きそうだと思って指値決済を外そうと思った途端に決済がついてしまった。まあこれで今朝方のマイナス分よりは取り戻して昨夜ぐらいまでにはなったのだが。

その直後からどんどんドル円は下がりあっという間に110円台まで達したのにはびっくりした。まさかそこまで下がるとは思っていなかったので。その後も本日はボラティリティがやたらと大きく乱高下、夜には一瞬で1円50銭噴き上がったりしたので、指値決済したことを歯ぎしりしたのだが結果的には早々に降りていて大怪我せずに済んだというところか。どうも昨日から相場は荒れていて難解、夜は参加せず静観。大体に於いて深夜のニューヨークタイムまで相場をやると日記を書く暇も余裕もない。

ここ数日の相場はあまりにも動き過ぎるので、少し落ち着くまで自粛した方がいいのかなあと思ったり。しかし110円台まで落ちるとは。日銀のマイナス金利導入はまったくの失敗に終わったし(むしろ裏目った)、アベノミクスってなんだったのだろうと思う。

前述の頻尿が気になるので、行くのを止めていた泌尿器科に明日行くべきかなと。たぶん過活動膀胱だと思う。

それにしても気になるのは母の具合だが、もしかすると僕は心配し過ぎているのかもしれない。母の記憶が定まらないのでどれぐらい吐き気が続いて気分が悪いのかよく分からない。ただの立ちくらみとかいわゆるところの貧血だったのかもしれない。こういうとき、どう判断するのが正しいのかまったく分からなくなってしまった。病院に連れていくべきかも随分迷った。こうやって母のことを心配していると、今思うに四年前に僕が癌になったとき、どれだけ父と母に心配をかけたのだろうといまさらながら思うのである。

それはそうと一本を吸う時間が長持ちするアメリカンスピリットを吸い始めてから、かえって煙草の本数が増えてしまった。困ったものだ。

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