Almost

昨晩、元妻から電話があって世間話をしたのだが、最近夜精神的に煮詰まって、という話をしたら、あの部屋じゃ煮詰まるよ、普通に、と言われ、それもそうかなと思った。実際、ワンルームのこの部屋は小奇麗ではあるが、これだけ狭い部屋に住むのは考えてみれば学生時代以来、一番の難点は横幅が狭い、ということだ。最近の夜の不調はどうやらその辺にありそうだ、と思う。机に向かっている間は気にならないのだが。引っ越した当初は、ま、ビジネスホテルに泊まっているか、事務所で寝泊りしてると思えばいいか、と思っていたが、やはり長く住んでいるとじわじわと真綿で首を絞められているように閉塞感が精神を圧迫する。そういえば一昨日、気分転換に駅まで行ったのが結果的によかったな、と思い、ちょうど25年ぶりにBobby Womackのアルバムを聴いて学生時代を思い出してセンチメンタルになっていたので、気分転換に今夜もドトールに行ってみることにした。

一昨日は混んでいて入れなかったが、今日はラッキーなことに一番居心地のいい席、つまりひとつだけぽつんとあるテーブルに座ることが出来た。で、久しぶりに抹茶ラテを飲む。一応文庫本を一冊持ってきたのだが、ぼんやり煙草を吸っていると、頭の中に文章が流れ始めた。最近歌モノを作ろうとずっとあれこれやっていたので、なにやら歌詞らしきものが浮かんだのである。そこで、手帳に頭に浮かんだ文章を書いていった。最初は歌詞のつもりで書いていたのだが、いつの間にか長くなり、ただの感傷的な文章になってしまった。そもそも僕は歌詞を書けない。かつては作詞家が持ってきた歌詞を一行だけ残して全部書き直させたり、作詞講座で教えていたりしたのだが。で、特に女性によく見受けられるのが感情を表す言葉で埋め尽くされている歌詞だ。僕はそういう歌詞を持ってこられると、感情だけを言い続けても、独りよがりなだけで切なくない、だからもっとワンシーンを切り取ったようなものにするように、と言うのが常だった。どうせ感情を表現するのであれば、むしろ好きな相手の嫌いなところを列挙した方が効果的だ、とも言ったのだが、そこまで具体的に言うと書いて来ない。ま、1回しか使えないアイディアであるし。と、話が脇道に逸れたが、また文章が浮かんできて、今度は歌詞らしきものが書けた。だが、やっぱりどうも感傷的過ぎるような気がした。それに具体性よりも抽象性の方が強い。それはちょっと意図したものでもあったのだが、一応書き留めたもののいまひとつ自信が持てない。たぶん僕はあまりにも人に歌詞のことについて多くを語り過ぎたんだと思う。しかし、いずれにせよ頭の中に文章が浮かぶようになったのはいい傾向だ。やはり夜に気分転換すると精神状態も大分違う。しばらくドトールに通うかな、などと思いながら9時過ぎに帰宅。それからしばらくネット上をうろうろして、さあどうするか、ここまではいいのだが、と思い、ひとまずギターの練習をすることにした。で、今日はなんとなく思いついたのだが、いわゆるモード的にひとつのスケールで延々とフレーズを引き続ける、というのをやってみた。試しに録音しながらやってみたら大体8分ぐらい。そんなに早く弾かず、8分音符で弾いていたのだが、これだけ長くフレーズを途切らせることなく弾くと、却って無心になれる。頭の中に水が流れるように静謐な気分になる。これはうつにもいいかも知れないぞ、と思った。途切れないフレーズを弾く練習にもなるし。そんなわけで今日は2つほど収穫があった。

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