911

9月11日、日曜日。

さすがに二日続けて寝込むことはなかった。その代わり、目が覚めたら11時50分、もう昼だった……。もちろん今夜もスクワットを25回やった。

このところの不ヅキ続きで煙草が本当になくなってしまったのでしょうがなくて午後から業務に行く。幸いにして煙草を確保。

今日は気がつくと911だった。あれからもう15年になるのだなという感慨を持って、YouTubeで改めて911のドキュメンタリー動画を見た。もちろん世界貿易センタービルに飛行機が突っ込む映像のまるでハリウッド映画のような衝撃は凄いのだけれど、ずっと同じ時間軸で追っていくと2つのビルがいきなり崩れ落ちる場面のインパクトの物凄さといったらない。黒煙を吐き続ける2つのビルの映像を見ていて、一体これがどうして全部崩れるのだろうと途中までは思っていたのだけれど、結果を分かっていてもあっという間にビルが跡形もなく崩れ落ちるさまは摩訶不思議でまるでこの世の終わりの光景のようだった。

それまで非現実的な光景を見た記憶というのは、95年の阪神淡路大震災で横倒しになった高速道路を見たときだが、この911の衝撃はリアルタイムで見ただけに凄かった。大分前にこの日記かどこかに書いたけれど、911の数年後に仕事でニューヨークに行ったときに世界貿易センタービルの跡地であるグラウンド・ゼロに行った。そこにはアーサー・C・クラークの言葉(「ニューヨークで生きていければ世界のどこでも生きていける」)があった。

実はここに来るのは二度目で、最初に世界貿易センタービルを訪れたのは911の前の地下駐車場の爆弾テロ(1993)が起きる前だった。初めて仕事でニューヨークを訪れたときに、LAのシュンちゃんとおのぼりさん感覚で観光で上まで昇った。なんかおみやげを買ったような買わなかったような。自分があの崩壊して跡形もなくなるビルの上にいたことがあるというのはなんか実に不思議な感覚だ。それは例えば六本木のWAVEとか、取り壊されてなくなってしまう建物はいくらでもあるんだけれど、そういうのとはまた違う一種異様で奇妙な感覚がある。それはまさに世界が崩れ落ちるという感覚なのだった。

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