「日本の医療システムはどうかしてますね」。2時間半待たされた挙句に通された診察室で、僕は極めて紳士的に、白髪の温厚そうな医師に言った。こういうときの医師の答えは決まっていて、「おっしゃるとおり」とか「ですよね」と肯定する。決して机をひっくり返して「出て行け!」と激昂することはない。そんなわけで、大体においてこういった大学病院、総合病院といった巨大なシステムに対しては強烈なクレーマーになりがちな僕としては上出来だ。医師は問診から始め、僕は腫瘍を発見した辺りから覚えていることを逐一言った。それからちょこっと触診、僕が持ってきた紹介状に付随するCTの写真、並びに血液検査の結果などを眺めながら、雑菌、ウィルス、リンパ腫という血液の癌、普通の癌の可能性があります、と言った。なるほど、確かにフィフティ・フィフティだ。で、やおら携帯を取り出して電話し、これから検査をします、と言って手順を書いた1枚の紙を取り出して説明した。僕は、組織検査とかはやらないんですか、と訊ねたが、これが一番手っ取り早いんですよ、と医師は答えた。この時点で、僕はまさか今日、その紙に書かれたすべての検査をするとは思っていなかった。僕は紙に書いてある通り、3階に行って採血、採尿、心電図をやり、それから2階に降りてまずは普通のレントゲン、それから血管に造影剤を流し込んでCTを撮った。この造影剤、別に見る必要もないな、と思ったので見てないが、点滴の要領で血管に流し、全身に行き渡った頃合を見てCTを撮るのである。その行き渡る時間というのが、ものの1・2分、人間の血流って随分速いものだな、などと思う。造影剤が行き渡ると身体の内部から暑くなり、全身がほてるような感じになる。
診察を散々待たされたわりには、諸々の検査は手際よく進み、3時前には検査を終えて会計を待った。いまどきの病院はすべて敷地内が禁煙なので、敷地を一歩出た歩道で煙草を吸いながら待った。ふと思い返すと、今日はあれだけ待たされたというのに、いつものように気分が悪くなったり、廃人になったりということはなかった。医者が半分は癌ですよ、と言ったときにもなんの感情も湧かなかった。たぶん、ある種の思考停止状態にあったのだと思う。会計を済ませ、僕は古臭くてしょぼくれた商店街の路地の奥に突然そびえる巨塔を後にした。
電車では1駅過ぎたところで座れた。が、だんだん頭が痛くなり、気分が悪くなってきた。いつもならこれは抑うつ状態のパターンなのだが、今回は造影剤が入っているのでどちらか分からない。とにかく、地元の駅に辿り着いたときは物凄く気持ち悪かった。それでもスタバでコーヒーの豆を買い、スーパーで夕食を買い、CTのデカいフィルムをこれまでかかっていた内科に返し、帰途に就いた。歩いているうちに、全身が物凄くダルくなってきた。体重が16トンぐらいになったようだ。ようやく自宅マンションに辿り着くと、当然ソファに横になった。すると気分の悪さは多少和らいだ。が、頭の中がぼわーっとして、綿でも詰まっているようだ。恐らく、抑うつ状態と造影剤の影響の両方が来ている。これは寝なければ、と僕の自己防衛本能が告げ、2時間ほど死んだ。
生き返ると7時だった。まだすっきりしない、というよりもいやなダルさと頭の重さは変わらない。看護婦(←看護師じゃないよ)の話によると、造影剤はおしっこになって出るという話だったが、それが一体どれぐらいの量が出れば抜けるのかは教えてくれなかった。なんかまだ辛いが、一応夕飯を食べてネットなどをしていたら、例の頭のもやもやが爆発寸前になり、僕はまたソファに横になった。この嫌な感じをどうやって払拭していいものやら分からず、とりあえず誰かと電話で話をして気を紛らわせたいと思い、っていうか、この場合の選択肢は田舎の母親しかいないので、母親と話をしながら一応頓服も飲んだ。話しているうちに少しずつ楽になり、電話を終えるころにはかなり楽になった。頓服が効いたのだろうか。しかし、まだ造影剤が抜けてる感じはしない。実際のところ、これを書いている今、午前1時26分の時点で、まだ抜けてない気がする。次に病院に行くのは来週の月曜日。