さて、何から、どう書いたらいいのだろう?
今日僕は、事実上癌だと告げられた。「事実上」というのは、医者は断定しているわけではないからである。
例によって2時間ほど待たされて診察室に入ると、おもむろに医者が先日の検査の結果をぺたっとボードに貼った。そこには上から下まで「悪性リンパ腫」という言葉が並んでいた。それを見たとき、僕は「えっ」と思った。文字通り「えっ」であり、それ以上でもそれ以下でもない。僕は今日の段階ではまだ悪性であるか良性であるかの結果は出ないと思っていた。正確に言えば、先日の検査の段階で悪性と診断されるようであれば、もう手遅れではないかと思っていた。なので、「えっ」なのである。医者は恐らく造影剤を使ったCTの結果であろう数値表のある数値を示し、これは普通400なのですが、と言い、そこには3500いくら、というとんでもない数値があった。それから先ほどの表をざっと示しながら、悪性リンパ腫の可能性が非常に高い、ということです、と言った。それはまるで、大学入試の成績が合格である可能性が非常に高い、というような言い方だった。そのとき、無論僕は落胆を覚えた。が、意外なことにそれは一瞬のことで、その落胆の中にずぶずぶと沈むことはなかった。僕はまったく冷静であったし、怖いとは思わなかった。別に他人事のように聞こえた、というわけでもない。単に僕はそれを受け入れただけだ。確かに医者は断定はしていないが、医者の説明はどう聞いても僕が悪性リンパ腫であるということを示していた。僕は、「どのくらい深刻なのですか?」という、ある意味間抜けで抽象的ではあるが、僕の本心そのままの質問をした。それがあまりにも抽象的な質問であるために、医者は返答に困った。たぶん、抽象的な質問に抽象的に答えるには、みたいなところで逡巡したのだと思う。それで僕は言い方をもう少し直接的なものに変えた。「で、僕はどれぐらい生きられるのですか?」。これは少々直接的過ぎた。ますます医者を困らせることになった。結果、医者は「んー、そうだね、5年以上の生存率が70%とかいう数字はあるけど……」という非常に微妙な返事をした。これはいろんな捉え方がある。まず、5年という単位をどう考えるか。70%という確率をどう考えるか。どちらも、悪いように捉えれば、非常に短くて非常に頼りない確率に思える。実際、僕はそう感じた。確かに感じたが、特に絶望はしなかった。医者が客観的なのと同様、僕も客観的だった。それから医者はおおむね事務的に今後の手続きを説明した。まず、これから外科の先生のところに行って、組織検査、いわゆる生検を今週行う説明を聞くこと、それから来週の火曜日にアイソトープという放射性物質を入れたブドウ糖(だったと思う)を点滴で入れて検査する。これはアイソトープが癌のあるところに集まる性質を利用したものだと言う。つまり、これは癌の進行度合いを調べる検査である。それをこの段階で既に決めるということは、冒頭にも書いたように、事実上僕は悪性リンパ腫である、ということになる。どうも医者は深刻じゃなくごく普通に喋っているようでいて、その実、口から出てくるのはどうにも僕にとってはよろしくないことばかりだ。例えば、なんで生検をやるのかというと悪性リンパ腫の中にもタチの悪いのがあるからね、という具合に。もうこうなると失言レベルだ。最後に僕はもうひとつ質問をした。「で、良性の可能性はあるのですか?」。ここまでの経過を鑑みると、いささか無謀な質問である。医者がなんと答えたのかは覚えてない。つまり覚えてない程度の答えしか返ってこなかった、ということである。ないというわけじゃないが、というようなことだ。
それから僕は渡された紙に書いてある外科の受付に行き、2時過ぎに来てくださいと言われたので外に出てファミレスで昼食を摂った。昼時で混んでいて、料理が届いて僕が食べ終わるころには2時半近くになっていた。その間、僕は煙草を3本か4本吸った。書くのを忘れたが、医者には煙草を止めるように言われたのだが、そんなこと知るか、と思った。煙草を止めれば治る、という確証でもあるのなら止めるが。そんなわけで少々遅れたなと思いながら外科の受付に戻り、2番目に呼ばれますから、と言われたので診察室の前で待った。確かに2番目に呼ばれた。外科の医者は躁病なんじゃないかと思えるくらいに必要以上に軽いノリの医者だった。で、生検の段取りを決めるのに2泊3日で、と言うので、さっきは1泊って聞いたんですけど、と僕が言ったら、じゃ、1泊でやろうか、とかそんな調子。なにやら楽しげでもある。そんなに楽しいのだろうか。ともかく、今週の木曜に組織を取る軽い手術をやり、翌日の午前中に退院、ということに決まった。それから1階に降りて入院受付というところで入院の説明を受けた。どの部屋にしますか、と見せられた写真を見る限りは、どれもホテルの部屋のように見えた。が、所詮4人部屋、少々広かろうが病室に大差はないだろう。第1希望、第2希望を告げ、後は料金とか当日持参するものとかの説明を受けて終了。
と、ここまで書いたはいいが、既に相当な長文になっているだろう。書こうと思えばいくらでも書けるが、これは短編小説ではなくて日記なので、適当に端折らなければならない。病院を出て、駅に向かいながら母親に電話し(かなり落胆していた)、元妻に電話し、電車に乗って地元の駅で降り、なんとなく駅前のビルのカフェでエスプレッソのダブルを飲み、通りがけにたまたま空いていた1000円カットで髪を切った。スーパーで夕飯を買い、帰宅して昨日買ったばかりのiPhoneで久しぶりにI泉さんと長電話をした。話はいつものように紆余曲折していつの間にか全然違う方に着地した。それから夕飯を食べ、コーヒーを飲みながら手持ち無沙汰になったので、また母親に電話して、入院や検査にかかる費用を送ってもらうことなどを話した。それからナカノから電話があって話し(僕からかけたのだが留守電で、折り返してきた)、最後に弟から電話が来た。そんなわけで今日はやたらといろんな人と電話をした。そういえば病院からの帰りの車中でFacebookに悪性リンパ腫だったことを一応書き込んでおいたら、いろんな人からコメントがあった。こういうことって書きにくいだろうから誰もコメント書かないだろうな、と思っていたのでちょっとびっくりした。いろんな人からコメントがあった、ということは逆に言えばいろんな人からコメントがなかった、ということでもあるが、それはこの際よしとしよう。
と、こんな風に今日という一日は過ぎた。一見淡々と過ぎたようでもあり、見方によっては劇的に過ぎたのかもしれないが、基本的には僕は終始冷静ではあったが、悪性リンパ腫という言葉を境にして、僕の思考回路はちょっと向きを変えた。なんというか、生きるということ、もしくは僕の人生というものを俯瞰的に考え、見るようになった。言い方を変えれば、僕のこの先の人生のパースペクティヴが変わった。さて、僕はこれからどう生きようか、という風なことをぼんやりと考えた。それはこの先に起こること自体がぼんやりしているのと同じくらいぼんやりしていた。