7月28日、金曜日。
こんばんは(←誰に言ってるんだ?)。いや。いやいやいや。一体全体何がどうしたのか、今日は突如として体調が物凄く悪くなった。
考えてみれば朝起きたときからちょっと変だった。いつものように9時38分という起きた時刻を記憶しながら、そういえば昨夜読み終えた角田光代「笹の舟で海をわたる」の感想をまだ書いてなかったなと思いながら台所に辿り着いてノートPCの電源を入れていると、さっきまで見ていた夢を綺麗さっぱり忘れていることに気づいた。確かに断片的なイメージしか思い出せない日というのもあるが、大概の場合それでもどんな夢だったのかぐらいは覚えているのだが、今朝の場合はまったく思い出せなかった。ただ、夢を見ていたことだけは覚えている。そんなわけなので夢の内容を毎朝ツイートしているのだが今日は出来なかった。
とりあえず朝食後に「笹の舟で海をわたる」の感想を覚えているうちにツイートした。長いけど例によって引用。
角田光代『笹の舟で海を渡る』読了。『対岸の彼女』みたいな女性二人の確執というのは著者の得意なパターンなのか。しかし、著者が何を書きたかったのか、最後まで読んでも明確にはわからない。ここでの確執は双方向的なものというよりも主人公の一方的な思い込みによるものであり、それが何十年と→
— Sukeza (@anykindoflove) July 28, 2017
→いうスパンでも結局は明快な解を持たない。つまりこの主人公はひたすら幼少期の疎開時の記憶に引きずられていて、そこから抜け出せないことがさまざまな疑念や気持ちの悪さや自分の子供との確執などを生むのだが、覚えていないのに疎開時に一緒だったと言い張る風美子に至っては何十年と一緒に→
— Sukeza (@anykindoflove) July 28, 2017
→生きてきても疑念や気持ちの悪さを(もちろん読者も)払拭できず、その主人公の不自然さがだらだら続くあまり面白みのない話をよりぐだぐだなものにするばかりで、かといって最後に素晴らしいカタルシスが待ち受けているわけでもない。正直疎開に拘り過ぎたんじゃないの?と突っ込みたくなる作品。
— Sukeza (@anykindoflove) July 28, 2017
『笹の舟で海を渡る』のすっきりしないもやもやした気分が延々と続く感じ、それは主人公の疑念や邪推といった負の思考パターンによるもので、それが最後、形の上では家族というものをすべて失った後に気づく、という形の上ではビルドゥングスロマンなのだろうけど、主人公が気づくのがあまりにも遅い。
— Sukeza (@anykindoflove) July 28, 2017
というわけで長々と書いたけれど、角田光代『笹の舟で海をわたる』の延々と続くどこか気持ちの収まりの悪い読書体験というのは周りの人々に比して主人公のあまりにも魅力のない性格に尽きる。それを平凡な人物を描いたと美化することは簡単だが、端的に言って小説として面白くない。
— Sukeza (@anykindoflove) July 28, 2017
今気づいたのだが「わたる」を「渡る」と間違えて書いてるな。正確には「海をわたる」です。
ともあれ、いつものように書斎のデスクトップPCに向かって相場の想定をする。なんとなく暑かったので朝から冷房オン。と、ふと気づくとなんか変だ。いつものように指値を置こうとするのだがなんだか頭が上手く回らない。単純に今日の相場がよく分からないだけかなと思ったのだが、どうやらそうでもなさそうで、身体が妙に重いのである。なんか変だ、なんか変だと思っていたがどうにもよく分からないのでベッドの布団の上に横になった。
すると身体が動かなくなった。で、気絶した。意識はときどきある。しかし身体が動かない。昔なった金縛りとも違う。身体がベッドに埋まってしまったようで、さながら大友克洋の「童夢」で超能力で壁に人がめり込むみたいに、身体が物凄く重くて動かない。地球の重力が1.5倍になったような感じ。結局一時間ばかりこの状態が続いた。というかそれから目が覚めた。
起きてもなんか調子悪い。気分が悪いし頭痛寸前のところにいる感じがする。いまだに身体がめちゃくちゃ重い。プリミティブな危機感を覚える。これはうちにいてもどうにもならんぞと思う。たぶん寝込んでしまうだけだろう。そんなわけで腹も減ってきたことだし、コンビニにパンを買いに行きがてら業務に行った。何しろかつてパチプロだったころは、いくら朝起きてボロボロでふらふらでも這うようにして行って8時間から10時間あまりも打っていたものだ。今考えるとなんであんなことが出来たのか不思議だけれど。
業務中は一応それなりに緊張しているのでなんとかなる。しかし気分は相変わらず悪いしプチ頭痛になってきた。昨日のようにツイているわけでもないしこれは大人しく帰ろうと1時間半ばかりで帰途に就く。
帰宅後もやはり調子悪い。頭がぼうっとしてプチ頭痛、身体の節々が全部重い。風邪でもひいたのだろうか。体調の悪いときはトレードしないというマイルールがあるのだけれど、なんとなく相場のトレードを始める。が、ときどき気が遠くなるし気分が悪い。こりゃダメだというので今度はちゃんと布団をかけてベッドで寝込む。こういうときに大体頭に浮かぶのは、人間は何故体調が悪くなるのか? というプリミティブな疑問だ。つまり体調が悪いだの気分が悪いだのというのは、もしかしたら相対的なもの、客観的なものではなく主観的なものに過ぎないのではないか、という疑念が。
だが実際に体調が悪いのである。主観的か客観的かというのはともかくとして。それでも目が覚めてからうげー気持ち悪いとか思いながらぼんやりした頭でちびちびとトレードをする。で、この調子では今日は母のところには行けないなと思う。体調が悪過ぎるし、それに風邪だとしたらうつすとまずい。いずれにせよあまりにも体調が悪いので今日の夕飯は寿司の出前を頼むことにした。何故寿司なのかというと、うちにある出前のメニューは寿司しかないからである。そんなわけなので今日の夕飯は1620円也であった。
で、およそ一年振りぐらいと思われる出前の寿司を食べて分かったのは、どうやら自分は寿司というものをそれほど好きではないのだな、ということだった。まあ元々グルメではないなという自覚はあったが。ただ今日の体調では何を食べてもたぶん美味しくなかったと思う。それでも一応夕飯を食べると少し落ち着いた気がした。時計を見ると7時半、母のところの面会時間は8時までなので少しだけなら顔を出せる。というわけで、ふらつきながら車を出して母のところに15分ばかり顔を出した。それから、冷蔵庫の中がほとんど空だったことを思い出し、帰りがけにスーパーに寄って買い物をした。しかし依然として気分の悪さ、身体の重さは抜けない。
正直言ってこれを書いている今現在も、まだどこか調子がおかしい。何がどうというのは表現するのが難しいのだが、なんか身体のあちこちに乳酸が溜まっているような、熱はないのに熱っぽいような(そういえば母のところで面会している間も脂汗が浮かんだ)。ちなみに熱はないと言っても体温計で計ったわけではない。
そんなわけだから今日は何かとギブアップ。深夜になって北朝鮮がミサイルを発射したらしいという情報。ドル円が下落。が、そんなことはどうでもいいというぐらいに体調はよろしくない。ちなみに昨日の日記には書かなかったが、昨日から今日にかけて蓮舫が民進党の代表を辞めたり、防衛大臣の稲田が辞めたり。それこそどうでもいいが。
体調が悪くない普段でさえ何をしたらいいのか分からなくなったりするので、体調が悪いときの心構えというものがよく分からない。こういうときは何をどうしたらいいのか? 何をどう我慢したらいいのか? ひたすら寝てればいいのか、とか。ひたすら寝るというのもある意味苦行である。明日もこの体調だったらどうすればいいのだろう? はてさて。