バイオリズム

4月18日、水曜日。

やることなすこと上手く行かず、今日みたいな日はさしずめバイオリズムが下がっている日なのだろうかと思った。そういえば最近はバイオリズムという言葉を聞くこともほとんどなくなった。そもそもが根拠のない仮説だし、どちらかというと後付けの理屈(特に今日みたいな場合は)の類であって、仏滅と大安みたいなことと大差ないのかもしれない。それに、ウィキペディアで調べてみるとバイオリズムが完全に一巡するには58.2年かかるという。そういう意味では僕なんぞはちょうどバイオリズムが一周したことになるが、要するにその日その日で今日はバイオリズムが悪いとかいう概念ではなさそうだ。

例えば今日なんかで言えば、夕方になって相場の指値を少々考えた挙句にドル円を残してユーロドルを外したら、なんとその10分後ぐらいにユーロドルの指値が成立してたはずで、それも本日の安値をピンポイントで取るクリティカルヒットになっていた。つまり、わざわざ正解の方を外したことになる。こうなるとなんか、マーフィーの法則みたいな匂いもする。なんだか起こるべくして起こったような。業務に行けば途中で移ったネタでボコボコに不ヅキを食らわされるし、朝は7時半前に目が覚めて二度寝すると4時間もワープしてしまうし、ことごとく裏目に出てしまう日というような印象。もちろん可能性としてはそういう日もあるのだろうが、わざわざ敢えて失敗する方を選んでいる気がしないでもない。正確に言えば相場の指値に関しては失敗したというよりも成功を掴み損ねたというべきなんだろうけども。

ところで前述のウィキペディアでバイオリズムを調べると、バイオリズムは約1カ月周期で、女性の生理の周期とほぼ似通っている。運不運みたいなものが一ヵ月周期で上がったり下がったりと考えると、女性の場合だったら生理が来て身体的にも精神的にも不安定になるとかいうことがあり得る(女性じゃないので分からないが)けれども、男の場合であればまったく根拠がない。結局のところ、今日はダメな日だったとかいうのは結果論でしかない。そもそも僕のように悲観的な人間はいい予感というものは滅多になくて、ほとんどの場合は嫌な予感しかない。予感を本能的な由来のものと考えれば、危険察知能力として嫌な予感が圧倒的に多いのも無理からぬことである。ただそれが習慣的にしみついてしまうとそれは単にネガティブな思考の悲観的な人間だということになってしまう。

結局のところ、どんなに楽天的な人間にも不運は訪れるし、どんなに悲観的な人間にも幸運は訪れる。ただそれを禍福はあざなえる縄の如しみたいに捉えると、幸運と不運が交互に順繰りにやってくるみたいな感じがしてしまうし、どっちにしても運は帳尻合わせになるみたいな考え方はいまひとつ夢がない。何にせよ、所詮僕らは常に結果を事前に知り得ない、ということだけは確かなのだ。そしてたぶんそれは有難いことなのだ。

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