5月12日、土曜日。
今日の試合には勝ったけれどクラブ史上初の2部降格が決まったハンブルガーSVは、ゴールライン上に警官隊が並んだままという異様な状況の中で試合終了のホイッスルが吹かれた。アディショナルタイムに入って既に降格がほぼ決定していたが、ピッチ上に発煙筒や爆竹が投げ込まれピッチは黒煙に包まれ、どこにいたのかと思うほどの警官たちがピッチ上を埋め尽くす。警察犬、騎馬隊まで出ていた。物凄い数の警官隊がピッチ上にいてもまだ発煙筒は投げ込まれる。試合終了後、涙を見せながら場内を回る選手たち。初めての降格が決まったというのに、スタジアムは異様な盛り上がり。なんとも不思議な光景だった。
今日もまた、起きたら11時を過ぎていた。今週の後半はもうボロボロ、惨憺たる有様。不思議なくらい起きられない。朝食後、図書館に本を返しに行き、そのままなんとなく業務に行ったが今日は暑かった。スマホによると昨日よりも1度高いだけだが半袖の人も目立つほど。かくいう僕も着ていったGジャンを脱ぎ、長袖をまくった。それはいいのだが業務の方は前回の馬鹿ヅキの帳尻合わせといわんばかりの不ヅキ。まあ確かに、データカウンターを見て14回転で当たって16連チャンした奴がいるんだなと思ったら水曜日の自分だった。しかしながら、その水曜日の業務の馬鹿ヅキを除けば今週もまた運がなかった。バイオリズムがどうたらとか以前書いたけれど、そういう風に言いたくなるほど最近の僕には運がない。なんだかそんな風にツイていないことがまるで当たり前のようになりつつある。そして、もしかしてこのまま自分の人生は終わってしまうのだろうかとか考える。運勢などということを考えてもそれこそ仕方がないのだが、もし人生に期待値というものがあるのであれば明らかに僕の人生の後半は期待値がマイナスになりっ放しである。確かに40歳ぐらいまでは妙にツイていた気がしないでもないが、それでも辛い時期はしばしばあったわけだし、ずっと馬鹿ヅキだったわけではない。ならば、今の運のなさはどこかでちゃんとお返しが来るのだろうか。つまりその、エネルギー保存の法則みたいなもので。
だが考えてみれば、本当のどん底のところでもしかしたら僕という人間はツイているのかもしれない。田舎に帰ってから一気に怒涛のように襲ってきた数々の不運も、結果的にはもしかしたら幸運になった部分もあるのかもしれないとも思う。でもそれはプラスになった幸運ではなく、最悪の結果を免れたというただそれだけのことのように思える。まあだからこそ人生がまだ続いているのかもしれないが。
そんなわけで藤沢周平「孤剣 用心棒日月抄」読了。連作短編だった1作目と長編の中間ぐらいの感じで確かに読みやすいのだが、その分軽さは否めない。シリーズ4作目の「凶刃」が長編として非常によく出来ていたので、どうしてもそれと比べてしまう。実際、筆致も「凶刃」が一番端正だったように思う。シリーズをさかのぼって読んでいるわけだが、今日も図書館から3作目の「刺客」を借りてきた(全集の10巻)のでこれもまた読んでみるけれど、今のところ用心棒というところにこだわっていない「凶刃」が一番よく出来ているように思えるのが皮肉。