ネガとポジ

6月29日、金曜日。

まず昨日の試合から振り返ってみると、0-1とビハインドの状態でそのまま試合を終わらせようとした判断に対して、自分は得も言われぬもどかしさを覚え、これでいいのか、攻めなくていいのかと最後まで思った。これはいわばクライフの有名な言にあるように、醜く勝つよりも美しく負けた方がいい的な気持ちがどこかにあったのだろう。岡田武史元監督いわく、日本人はこれが好きなのだそうだ。自分の頭の中を振り返るに、一番あったのはもしセネガルが追いついたらそれで終わり、ということだった。確かにそれはそうなのだが、これが真っ先に思い浮かぶというのは自分の思考傾向が常に最悪の事態を先に想像するというネガティブな傾向にあるということなのだと思う。それと比べると、西野監督の判断、決断というのは遥かにポジティブだったのだなと今となっては思うのだった。ある意味、攻撃してさらに失点を重ねたらもっと最悪、もしくはイエローカードをもらったらそれで終わりという、僕よりもさらに最悪の事態を考慮したとも言えるが、いずれにしろそこから導かれた結論はネガティブじゃなくてポジティブだった。簡単に言うとセネガルが追いつかないということに賭けるバクチであるのだが、恐らくその発想はネガティブじゃなくてポジティブなのだ。そして、そのポジティブな決断はもっともネガティブなことを想像することから出てきた。と、書いているうちにだんだん分からなくなってきたけれど、何が言いたいかというとネガティブに腹を括るのとポジティブに腹を括るのは違うのだなということ。で、今回はポジティブな結果になったと。要するに僕という人間はどこまでもネガティブな思考だなあと改めてそう思ったのだった。

何かにつけて取り越し苦労をする、過度に心配性になるというのも、そういうネガティブな思考回路のせいなのだと思う。そしてその結果どうなるかというと、あと一歩踏み出す勇気がないかあるいは目をつむって余計な一歩を踏み出して玉砕してしまうかのいずれかになってしまう。自分の人生を振り返るに、人生の中の岐路で好転した場合というのは、いい意味での一歩を踏み出す勇気があったときだった。つまり、僕にもポジティブな瞬間というのはときどきではあるが訪れるのだ。もし自分の人生が結果オーライに思えるのであれば、それはたぶん数少ないポジティブな転機のせいだ。

もちろん、問答無用で徹頭徹尾自分を肯定できるのはサイコパスぐらいだろう。そしてそういうサイコパスは逆に徹底的に他者を否定する。つまり、エネルギー保存の法則はどこかしらでその危ういバランスを保っているのだ……。

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日中は朝からクソ暑かった。夕方のニュースによると、山形の最高気温は37.5度で全国で一番暑かったらしい。そんなわけでずっと冷房全開だったのだが、外にいると熱中症になりそうで、先日町内の叔母(父の姉)からさくらんぼをもぎに来いと電話で言われたものの、ちと無理そうと思った。思ったものの、自分の性格上シカトするわけにもいかず、一応行くだけ行ってみようと2時過ぎに叔母の家に向かった。すると、案の定曲がるところを間違えて道に迷ってしまい、散々右往左往した挙句ようやくたどり着いてみると留守だった。そして、急に雨滴が落ちてきて驟雨になった。帰るころには小降りになったが、夕方になって今度は叩きつけるような土砂降りになって、いつの間にか涼しくなっていた。それもまた夕立だったようで、母のところから帰るころには止んでいた。そんなわけで、日中唖然とするほど暑かったにもかかわらず、夜は窓を開けていると涼しいという一日になった。

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