コタツ

11月7日、水曜日。

今日は茶の間のコタツを作った。若干早いかもだが、いまだに座布団が夏のままになってたし、どうせいずれ作らなければならないから。正直な話、弟とその家族を除けばもう何年もうちに上がる人なんて誰もいないんだけれども。茶の間の使用頻度自体、大画面のテレビを見るとき、つまりサッカーの試合を見るときぐらいしかない。最近はJリーグの試合はPC(DAZN)で見るので、代表の試合を見るときぐらいになってる。あとはACLとか。

せっかくコタツを作ったので、午後早速コタツで昼寝を試みたが、なんていうかそれほど快適とは言えなくて必ずしもコタツが昼寝に適しているとは思えない。で、学生時代にサークルの同級生のアパート(江戸川区の平井にあって1階はヤクザの事務所だった)に泊まったときにコタツで寝たことを思い出した。

10時4分起床と今週は似たり寄ったりの時間に起きている。で、相場で勝ち逃げして業務で負け逃げしているというところまで似てる。実際のところ業務に関してはハナから期待値がマイナスだと分かってるのでツキ次第というか単に手持ちの玉を打っているだけに過ぎない。とはいうものの、脳内で換金するとなんだか非常に無駄な行為を毎日やってる感はあり。しかしながらこのところ、東京時間のレートがあまり動かない時間をずっと相場のチャートを見て過ごすということができなくなってる。というか、前はなんでできていたのか。ポジションを持っていれば別だけれど、生来待つということが苦手であるので。

今日の母は僕がいる間ずっといびきをかいて寝ていた。その間、スマホでニーチェの「善悪の彼岸」を読んだ。ニーチェを読むのは実はこれが初めて。そういう意味でなかなか新鮮。これまで哲学書を読んで物凄く影響を受けたり感化されたことは一度もない。たぶんそれは自分の理解度があまりにも低いからだろう。自分はどちらかというと言葉に影響されやすい人間だとは思うのだが。いまだに電子書籍を読むということに慣れておらず、紙の本を読むよりも疲れるというか、どの程度読んだのか感覚的に掴みづらい。いずれにせよ、年齢とともに読解力は随分と落ちていると思う。つまらない、どうでもいいことは覚えているのだが。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク