極私的センチメンタリズム

11月9日、金曜日。

大概の場合、センチメンタリズムは私的なものである。そして日記もまた、極私的なものだ。だからそこに客観性はそれほど必要ない。ときと場合にもよるが。もしくは書く目的にもよるが。

20年前、このサイトを立ち上げてちまちまとHTMLを書いて更新していたころは、それを読んで何百キロも遠くの人が自分に恋をするなんて想像もつかなかった。本の中にしか登場しないはずの人物からメールが届いたり、(僕以外の)誰もが知るバンドのギタリストからメールが届いたりするなんてことも想像できなかった。最初はグーグルなんてものはなく、検索エンジン(ヤフーぐらいしかなかった)は誰かの推薦がなければ登録できなかった。業界の人間に知られると嫌だからというので、わざわざヘッダーに検索ロボットを回避する一行を入れてたりした。つまり今でいうSEO対策とまったく逆のことをしていた。今でいうググって出てくる数なんてたかが知れていた。数えるほどしかなかった。だから自分と同じようにネット上にサイトを持っている人と繋がるのは結構簡単だった。メールをやりとりして電話で話したり実際に会ったり、住んでいるところが近い人とは一緒に食事をしたり、文章が上手いなあと思っていた京都のゲイの人に歌詞を頼んだりした。それは現在のように誰でも書けるブログが無数に存在しているのとは違って、ぽつんぽつんと存在する点と点を結ぶようなことだった。

そんなわけだから、神戸のケイが写真を送ってきたとき、なんでこの子はポーズを取っているんだろうと不思議に思ったものだ。僕はまだ、彼女が僕に恋をしていることを知らなかった。ケイはジノ・ヴァネリの「I Just Wanna Stop」のコードが知りたいとメールしてきた。だから譜面を書いてファックスで送ったのだった。いくら彼女の実家が東京だからといって、まさか神戸から用賀までやってくるとは思わなかった。そもそも彼女は人妻だった。

そんな風にして僕らの遠距離恋愛は始まったのだったが、当時はまだMDというメディアがあって、ある夏の日にケイが送ってくれたMDにこの曲が入っていた。

実際のところ、センチメンタリズムに浸ることなど簡単だ。なんかのスイッチを押せばそれでいい。今ならそれはマウスかスマホだ。

こんな風にして、クリックひとつで思い出すことができる。自分の代わりに、必ず誰かが覚えていてくれる。

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母は今日特養のかかりつけの医者に診察してもらい、風邪と診断されたそうで、風邪薬と抗生剤が出たそうだが、風邪に抗生物質が効かないことはいまどき誰でも知っている。今日も母は見るからに具合悪そうで、食事もほとんど摂っていないし、水さえもなかなか飲もうとせず、ひたすら寝ていた。

そういえば昨日弟が持ってきた先日の甥っ子の結婚式での写真を見ると、僕は昔のようにがりがりに痩せておらず恰幅がよくなったものの、思ったほど見てくれは老け込んでいなかった。ただそれが実際そうなのか、それとも写真だからなのかは分からないし、多分にこの5年で自分は途轍もなく見た目が老け込んでしまったと思っていたせいかもしれない。

今日が昨日ではないように、今の僕は20年前の僕ではない。あなたが20年前のあなたではないように。

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