4月3日、水曜日。
朝起きると雪が積もっていた。ホントかよと思ったが外は雪景色だった。道は大丈夫だったが朝食後に玄関先の飛び石のところだけ雪かきをした。4月に根雪が残っているのは普通だけれど、4月に雪かきをしたのは田舎に帰って初めてだ。しかしながら、どっちにしろ日中の間に雪は融けた。つまり、雪かきをする必要なんてなかった。
夕食後の夜、右手の手首の関節がしんしんと痛くなった。激痛ではないけれど、嫌な痛み方だった。一体これはなんだと思ったのだが、もしかしてツイッターのタイムラインでたまに見る痛風というものかと思ってググってみると、痛風は足の親指の関節に来るものらしい。結局、その後「101回目のプロポーズ」の続きを見ているといつの間にか痛みは治まっていた。とすると、あの痛みは一体何の意味があったのかとも思うのだが、あらゆる痛みにあらゆる理由があるとも限らない。
気がつくと電話病になっていた。以前の自分は誰かに電話せずにはいられない電話病だったのだが、今の自分は誰にも電話できない電話病になっていた。もちろん、どこかの会社のサポートの電話とか、病院や特養への電話とかそういうものはできる。ただ、友だちとかそういうプライベートな電話ができなくなった。よく分からないが誰に電話しても迷惑がられたりうんざりされたりするような気がするのだった。実際、かつて電話をかける方の電話病だったとき、うつ病が酷くて薬漬けになっていたときは毎日誰かしらに電話をして、最終的にいろんな人にうんざりされた。どういうわけか今でもそのときの記憶が残っていて、また嫌がられるのではないかと思ってしまう。そういう気がするのだからどうしようもない。無二の親友であるヨウタロウにも電話できない。何故かというとそれは用件があって電話しようかと思うのだが、その用件が自分だけの用件であって、彼らの用件ではないからである。しかしながら、大概の用件などというものはそういうものだ。そんなわけで、気がつくと2年かそこら(1年半ぐらいか?)は弟や親戚を除くとプライベートな電話はしていない。この電話病は一体いつまで続くのだろうか。
コーマック・マッカーシー「チャイルド・オブ・ゴッド」読了。
コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』読了。一人の犯罪者を短いチャプターを連ねて極度に淡白に語った小説。あまりにも乾いた筆致が物足りなさや陰鬱さをもたらす。陰鬱な寓話という趣き。面白いかというと疑問。まずカタルシスがない。よって後味がよくなかった。
— Sukeza (@anykindoflove) April 2, 2019
コーマック・マッカーシーは映画「ノーカントリー」の原作になった「血と暴力の国」があまりにも素晴らしかった。なので期待値がちょっと高過ぎたというか、求めるものが多過ぎた。今回は正直読んでいて気持ちが晴れずただ憂鬱になっていくだけだった。「血と暴力の国」にあったユーモアとセンチメンタリズムが今回は足りなかった。