感傷的な人生

4月4日、木曜日。

昨夜あれから、「101回目のプロポーズ」の最終回を見て案の定ボロ泣きした。そしてすっかり感傷的になった。思案した挙句、深夜2時過ぎにとうとう新記録となる29本目の煙草を吸った。

ハッピーエンドのドラマを見て何故感傷的になるのか、恐らく自分には一生手に入らないような幸せを描いているからなのか。そして、人生の大半を尋常じゃないモテ期として過ごしていながらどうして僕はこうした幸せを手に入れることができなかったのか。気がつくと、色恋は自分にはもっとも縁遠いものになっていた。

一体ツイッターで何回「本日のルール。煙草は何本吸ってもオーケー」とツイートしたのだろうか。到底数えきれない。にもかかわらず、これまでなんとか一日の煙草の本数はリミッターでもかかったように28本で止まっていた。それをとうとう破ってしまった。とはいうものの、そもそも28本に至るまでに最高記録が27本ということが続いていた時期もあったわけだし、大体に於いて、煙草を吸った時刻を手帳に書き留めるようになる前、実家に帰る前までは普通に40~50本吸っていた。60本以上吸ったことだってある。それをいまさら一本増えたからといって、何十年と煙草を吸い続けたという事実が変わるわけではない。つまりはただの感傷である。しかしながら、僕だけじゃなく恐らく大概の人にとって人生は感傷的なものなのだ。

煙草を吸うとほっとする。もちろん立派なニコチン中毒であることは確かだが、僕が煙草を吸う理由はそれだけだ。だが、29本目の煙草を吸ってもあまりほっとしなかった。自分を28本という呪縛から解放しようと29本目の煙草を吸ったのに、さして何も自分にもたらさなかった。それはただの29本目の煙草というだけだった。いつか僕は30本目の煙草を吸うのだろうか? そしてそれはどんな味がするのだろう? 29本目の煙草は、例えていうなら人生のエンドマークみたいな味がした。

気がつくと、今日の日記であるのに昨夜のことしか書いていない。実際問題として、日付は既に変わっていたので今日といえば今日のことなのだが。

鬼門の木曜日である今日は、トレードで申し訳程度のプラスになったところでそれをひたすら守った。つまり、プラスになってからはほとんどトレードしなかった。とにもかくにも、木曜日にプラスになったという事実が欲しかったのである。たぶんそれもまた、ある種の感傷なのだろう。

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