4月5日、金曜日。
例によって夢を見て最初に目が覚めたのは8時半ごろだった。さすがに早いと思って次に時間を見ると9時半になっていて、たまには少し早起きしようと思ったのだがどういうわけか次に時間を見たときは11時7分になっていた。昨夜格別遅く寝たというわけではなく、どうしてこうなるのかよく分からない。ただ単に人間として自堕落なだけなのだろうか。
そんなわけだから台所で朝食を摂っていると昼近くになる。いつもの習慣で暖房をつけていたのだが、ふと暑いということに気づいて暖房を停める。そして、実に不思議なことに今日は夕方まで暖房が必要なかった。一昨日は雪が積もっていたというのに。何がどうなっているのか今一つ理解できないが、これを書いている今は暖房を入れているものの、風呂上がりにいつものパジャマ代わりのスウェットの上下を着てナイトガウンを羽織ると暑い。これはつまり、この山形の片田舎もようやっと春になったということなのか。
日中はそれなりの量の相場のポジションを持っていたのだが、今夜は米雇用統計があるしその前に19時キックオフの鹿島の試合があるのでそこまで引っ張るつもりはない。マイナスにならなければオーケー。よって母のところから帰宅後に半分を微益で利食い、残りの半分は試合のハーフタイムに見てみるとプラスに転じていたのでクローズ。
鹿島 2-1 名古屋。なんていうか、前半は右サイドバックで起用した平戸がまったく機能せず、ポゼッションも名古屋がほぼ支配していてどうなることかと思った。すると後半早々に失点、いかにも負け試合の展開だったのだがその平戸を下げて三竿を投入した辺りから微妙に流れが変わり土居聖真のゴールで同点に追いつくと、いつもボールを持ち過ぎる嫌いのあるレオ・シルバが例によってハーフライン近辺からよろよろとドリブルでゴール前に侵入しておい、いつまでドリブルやるんだよと思ったらそのままなんとゴールを決めて逆転してしまった。見ていて呆気にとられた。なんていうか、名古屋サポーターにしてみれば非常に納得できない負け方だったとは思うが、鹿島を応援している自分としてはなんとも痛快な試合だった。
正直言ってこの日記がさほど面白いわけがないと自分で思うのは、ただ単に山形の片田舎で一人で生活しているだけの毎日がそんなに面白いわけがないし、さほどどうってことはない日々を毎日面白く書けるわけがないのであって、そりゃあ2013年のように次から次へとこれでもかと不幸が襲ってくるような年はもしかしたら読んでいる側は面白いのかもしれないが、そろそろ老境にさしかかろうかという初老の男の生活が面白いわけがない。なので、人から見ればどうってことはないのかもしれないが、今日はどちらかというと何事もちょっとずつ上手くいったような気がする一日だった。
しかしながら今日ちょっと引っ掛かったのは母のことである。4時前に母のところに行くと、今日の母は横になってはいたもののちゃんと目を開いて起きていた。ところが母はときどきまばたきをしながら目をしっかりと開いているのだが、その視線はどこか中空を見ている。一体何を見ているんだろうと僕も上を見上げてみたが、もちろんそこには天井しかない。しかし母の視線は天井を見ているのではないような気がした。母は何かを見ている。だがそれは僕には見えない。僕はだんだんいたたまれなくなって、母に起きて車椅子に乗って外の景色でも見ようと言った。いつものように廊下の端に行って母と二人で何の面白みもない外の風景を眺める。母が見ることのできる景色は限られている。廊下の反対側の端に行こうと車椅子を押していると、看護師のYAさんに声をかけられて、母の足の傷を手当をしたいと言われた。それで母は浴場で足を洗われ、その間に僕は母の部屋で椅子に座って待っていた。
浴室から母が戻ってきてベッドに横にしてむくんでいる左足を見ると、以前と比べると随分細くなっていた。看護師に訊くと足の傷も浅くなってきているということだった。一回治療しただけでこんなに変わるのかというぐらいに経過は良好だった。だからこれは今日のいいことのひとつでもあった。しかしながら手当を終えて看護師が出ていくと、母はまた中空のどこかをじっと見つめているのだった。僕はまた天井を見上げてみた。だがやっぱりそこには何もなかった。僕が帰ると言うと母は表情を和らげた。母が何を見ているかというのは、母が何を考えているのか分からないのと同様、特に気にする必要はないのかもしれないし、分かって気にしたところでたぶんどうにもならないだろう。だからこれはたぶん僕が気にし過ぎているだけなんだろう。
しかし、母は一体何を見ていたんだろう?