時間

7月20日、月曜日。

そんなわけで61歳になった。考えてみればこのサイトを始めたころはまだぎりぎり30代だったので、あれからなんだかんだ20年以上が過ぎたことになる。

61歳というともう何年前だろうか、キーボードの佐藤博が自宅スタジオで死んでいるのを見つかった年齢で、それが強く印象に残っているので自分の中では要注意ゾーンというか、ちょっと意識していた年齢だ。これを無事に通過すればという感じ。そんなことを言ったらマイケル・ジャクソンとかドラムの青純はどうなるんだということになってしまうし、かつてのJ-POPというか日本の女性ボーカルの仮歌をほとんどやっていた新倉と広谷の二人ともが既にこの世の人ではない。

このサイトに言及したついでに言っておくと、最初はとにかくテキストベースのサイトにしようと思っていて、極力画像はアップしなかった。それはつまり当時のネットがそれだけ重かったということでもあるのだが、それを意識するあまり当時は写真の類を載せるところを隠しページ(つまり適当に探せばクリック出来る)にしていた。それがここなのだが例えば今見ると最初のリンクはもう存在していない。

それはともかく、「そんなわけで」とか「それはともかく」とか言っている間に20年が経過したということだ。

蒸し暑い一日だった。スマホによると30度だが、冷房の効いた部屋から一歩出ると居心地の悪さを覚えるくらい暑かった。夜、そろそろ涼しくなったかと思ってちょっと散歩に出た。思った通り外は涼しかった。天気がいいのか空には星が輝き、改めて自分が住むこの町を美しいと思った。静かだった。ときおり思い出したように車が通り過ぎる。途中、近所の寺の軒先に「永遠に続くものは何もない」と書いてあった。ということは、時間すらもいずれは停まるということだろうか、などと考えた。そういえば「時間は存在しない」という本があった。読んでいないけど。そういう意味では何を時間と呼ぶかによるな、という気もする。たまたま今読んでいるウエルベックの「セロトニン」の中にこんな文章があった。

この文章のいい点は「おそらく」という点だ。いずれにせよ、僕らが欲しいのは早送りのボタンではなくて巻き戻しのボタンだ。

実際のところ、いざなってみると60歳も61歳も大差ない。もちろん、30歳からいきなり60歳になったらそれなりにショックは覚えるだろうが、それなりに順を追って61歳になってみると別にどうってことはない。そもそも、59歳と61歳の間にどれほどの違いがあるというのだろう。そう考えると、乱暴なことを言えば年齢こそ四捨五入すべきだ、という気もする。今考えると40歳になったときにもう若くないと思ったことがお笑い種だ。もちろん今の僕はもう若くないわけだけど。

とりあえず昨夜なんとなくYouTubeにアップしたものを置いておく。この曲を書いたのは1979年、二十歳のときだ。それとも19歳だったかな? いずれにしろ、日の当たらない高円寺の家賃1万5000円のボロアパートで書いた。結局、1979年だからよかったわけであって、今二十歳ならいいというわけではない。そんな感じ。

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