センチメンタリズム

7月19日、日曜日。

もうあまり時間が残されていない。あと35分で61歳になる。

朝、アマゾンから空気清浄機が届く。アマゾンから過剰包装じゃないものが届くのは初めてだった。アメリカのメーカーなのに何故か中国製の空気清浄機は思ったより小さく、これまで使っていたダイキンのような高級感もなくセンサーの類も何もついていなかった。こうして改めて日本製の空気清浄機のセンサーの優秀さにいまさらながら驚かされるが、センサーがなくても空気清浄機の役割を果たしてくれればそれでいいと思うものの、実際のところその役割を果たしているのかどうかは具体的に確かめようがない。例えばそれを確かめるにはひたすら煙草をスパスパと吸い続けて様子を見るとかいうことぐらいしかないが、そもそもそんなことをする意味がなく、要は空気清浄機という存在そのものがひとつの気分のようなものなのだなと思う。

気がつくとセンチメンタリズムの沼にどっぷりと首まで浸かっていた。全身に力が入らず、午前も午後もソファで毛布を被って寝る。どちらもゲームをしている夢を見た。昔々、テレビゲームとかビデオゲームとか呼ばれていたゲームだ。ゲームなんてもうかれこれ15年ぐらいやっていないが、何故かたまにこういう夢を見る。何もしないで寝てばかりいるうちに夕方になってしまった。夕方ふらふらと外に出ると、空は見事に晴れ上がっていた。

僕はこの町で生きて、この町で死ぬのだろうと思った。

ふと思いついて一度家に戻り、煙草に火をつけて改めて向かいの寺の境内に座って煙草を吸った。昨日の朝の彼女からのSMSを読んで、着信拒否を解除して返事を書いた。さよならと。気がつくと涙が流れていたのは、もとより前述のようにセンチメンタリズムにどっぷりと浸かっていたからだろう。寺の境内を眺めて、子供のころとどこが違うのだろうかと考えた。

あれから50年近く経っているのだからもちろん細かいディテイルは変わっているはずなのだが、子供のころ広いと思っていた境内がもっと小さく見えるかと思ったらそうでもなかった。寺のたたずまいは、案外と子供のころから変わっていない。小学生のころ、夕方の5時に鐘を突いていた鐘楼もそのままだ。立ち上がると、彼女から返事が届いた。

夜、アマゾンのプライムビデオで「弧狼の血」を見た。

途中までは一時停止しながらで、映画というものはじれったいなと思っていたがいつの間にか引き込まれていた。ちょっとびっくりだ。ダサいナレーションが入る映画に引き込まれるなんて。

こうして、ほぼ何もしないまま60歳の最後の一日が過ぎようとしている。まるで人生そのもののようだ。

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