8月22日、土曜日。
いくぶんか気温が下がり、涼しいといってもいいくらいの日、日中冷房を入れている書斎はちょっと寒く感じるほどだった。しかしながら夏バテは変わらず、無茶苦茶体調が悪かった。昼食後、半ば義務感のようなものを感じて久しぶりに隣町のユニクロに行ってTシャツを買った。帰宅後、気分が悪くなりソファで横になった。あまりにも調子が悪くてもしかしてこのまま死んでしまうのではないかと思い、ときどき怖くなるくらいだった。熱中症はともかくとして夏バテで死ぬなんてことがあるのかどうかはともかく。
彼女からの電話で目が覚めた。どれぐらい時間が経ったのかすぐには分からなかった。起きて机に向かって煙草を吸ったが、前回吸った時間から換算するとどうやら1時間ぐらい意識を失っていたっぽい。あのまま彼女から電話が来ず、目が覚めずにそのまま死んでいたら楽だったな、とか思う。そういう風に考えると死ぬことはそれほど怖くない。いつだったか彼女が、死ぬって寝てそのまま目が覚めないようなことだよね、だとしたらそんなに怖くないよね、と言っていたことを思い出す。結局のところ、僕らはどの時点で目が覚めなくてもおかしくない。してみると、毎晩寝た時点で死んでいるようなもので、朝目が覚めたところで生まれ変わっているようなものだ。つまり、毎日死ぬことと生まれることを繰り返しているわけだ。
夕食後再び気分が悪くなり、ソファに横になってタブレットでYouTubeのフジロックを少し見た。今日一日、ユニクロに買い物に行った以外はほぼ何もしていないと思い、起き上がってギターのレコーディングをした。今日はワウギターとディストーションギター少々、それとオルガンを少々。歌入れは明日することにして夜中に散歩がてらコンビニまで歩いた。確かに涼しいがそこまで涼しいわけでもない。静かな夜だった。
寝る前に読んでいるウエルベックの「素粒子」は終盤に差し掛かり、昨夜は登場人物の一人が死んだ。ずうっと読んできて、初めてドラスティックな動きがあったといってもいい。読んでいて、まったくその通りだと思った文章を引用して今日の日記を閉じよう。
人生とはたいがい、ひどく気の滅入るものだ。(ミシェル・ウエルベック「素粒子」)
— Sukeza (@anykindoflove) August 21, 2020