警報

8月4日、木曜日。

昨夜あれから、何時ごろだろう、たぶん1時とかそんな時間から物凄い雨になった。見ていた映画の音が雨の音で聞き取れないほどだった。まるでこの世の終わりみたいな。それから少しして、寝床で本を読むころには雨の音自体は収まったようだったが、それでも夜は奇妙な音がする。たぶん雷とかそんなもんなんだろうけど。ニューヨークみたいに一晩中朝までどこかしらでサイレンが鳴っているとかそういうやかましさではないけど、田舎は田舎で静かだからこそ聞こえてくる音というものがある。で、大概そういう音は何の音か分からない。

早朝まず4時台にスマホに大雨警報が届いて起こされる。案の定最上川が氾濫しているようだった。その後もひっきりなしに警報が届いては起こされることの繰り返し。どうやら町内の最上川に近いところに避難勧告だか高齢者の避難指示だかが出ているようだった。そんな感じだからろくに寝た気がしなかったが9時19分起床。

結局町内にどれほどの被害があったのかは分からずじまいだった。夕方コンビニまで煙草を買いに行ってもなんら変わった様子はなかったし、町内のいとこの携帯に電話しても出なかった。いとこの住んでいる地区の一部に避難勧告が出ていたようなのだが。

終日業務。ただジタバタしただけに終わる。長期金利の動きに右往左往するのもいささかうんざりだし、特に今日のドル円はあまり方向性がなく難しかった。結果損切り貧乏という感じに。

雨のせいか一日涼しかった。夕飯時、台所の窓を開けるとちょっと肌寒いくらいだったのでスマホで気温を見ると22度だった。

雨に右往左往し、為替に右往左往し、結局何かしらにただ振り回されているだけのような気がしてくる。

いまさらなんだが、夕方ふと自分の現在とこれまでの人生を振り返り、あまりにも浮世離れしているというか、ある意味現実離れというか現実から目をそらし続けて生きてきたことに唖然とする。その結果、僕の目を通して見るものすべてがリアリティを欠いているというか、マルケスの書くマジック・リアリズムのようなものに思えてしまう。で、さすがにいい加減現実と向き合わなければならないときが来ているような気がする。具体的に例を挙げることはいくらでもできる。例えば家の裏手に屋根まで絡みついているツタであったり、二階の破れた障子だったり、伸び放題になっている玄関先の松の木だったり。もっとシビアなところで言えば銀行口座の残高だったり。

根っからのペシミストがずっとある意味オプティミストとして生きてきたんだから、それはうつ病にもなるし現実から乖離もするわけだ。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク