平成

3月20日、月曜日。

8時33分起床。自分にしてはいかにも早起きだが、今日は町内会のごみ当番だった。

昼を挟んで前後に昼寝。日中は業務。今日は欧州時間まで下げ相場で、売り目線だったので何をやっても上手く行った。夕方以降は自粛。

で、結局3万円ちょっと出してコンプレッサープラグインのP11 Abyssを購入。これはもう仕方がない。結果的に何曲にも使うことになったので。よろしくないのは同じメーカーのサチュレーター、P42 Climaxも買いそうになってるということ。P11よりは安いといっても2つ買うとなると結構な散財である。P42の方はもう少し検証する必要がいずれにしてもある。

夕食後の夜はYouTubeでひたすらイカ天を見た。フルで2回分。イカ天は平成元年からの番組だったので、一体平成って何年まであったのだろうと手帳の裏の表を見ると、31年までだった。ということはもう34・5年前になる。当時はスタジオのロビーで見ていた。最初は新川のボーヤが、ギターの北島健ちゃんとかが審査員でボロクソ言ってて面白いというので見始めたのだった。今の若い人はイカ天なんて言っても知らないだろうし、今見るとどのバンドもテクニカル的になんて下手くそなんだと思うだろう。しかし、キングになれなかったバンドを20バンドも見ていくと、当時は中途半端に上手いバンドの方が逆に見ていて痛かったことが分かる。ことにポップなキーボードとかが入ると余計痛さが増す。

フルで2回分見た後、武道館でやったイカ天大賞というのもついでに見始めたのだが、ここに出てくるのは皆それなりにイカ天キングとかになったバンドばかりだが、皆上手いのでちょっと驚く。

弟の奥さんのお姉さんが僕と同い年なのだが、弟の長男の結婚式のときに20年ぶりぐらいに話をしたら、「あのころは皆輝いていましたね」と言う。そのときはあのころっていつのことだろうと思っていたが、たぶん平成元年前後、バブルからそれがはじけるころまでのことだろうと今では想像がつく。バブルがはじけても、現在と比べると当時の東京はまだまだいろんなものが輝いていた。まだ六本木は一大観光地になっていなかった。都内の至るところにスタジオがあった。

自分のようにもう還暦も過ぎると、10年ぐらい前はそれほど昔のこととは思えない。まったくもって最近という感じがする。20年ぐらいさかのぼってようやく、昔のことのような気がする。30年もさかのぼればさすがに随分と昔に思えてくる。かつてテレ朝の番組絡みでプロデュースしたバンドの若者たちが皆いいおっさんになっているのにちょっとどきっとする。ある種リップ・ヴァン・ウィンクル的な、いろんなことを飛び越してしまったような気がしてしまう。だが例えば20年といえばそんなにスカスカなわけがない。それなりの出来事がぎっしりと詰まっている。現在というのはそうやってできたものなのだ。

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