8月29日、火曜日。
10時8分起床。なんだかんだいってまだ日記の形式を取っている。
今日は具体的には書けないがちと失望することがあって、改めて幸せとは日常の中にしかないのではないか、という思いを新たにした。僕らは常日頃、非日常の中にこそ幸せがあると思い込み、それを追い求める。しかしそれが何故幸せに見えるかというと、まだ手に入っていないからである。実際問題として手に入ってしまえば、それは日常の一部になるか、あるいはちょっとした思い出になるだけである。ということは、日々満たされないと思っている間、ぼんやりと手に入らないものを頭に描いている間に、ある種の象徴としての幸せとして見えるのであって、いざ手に入ってしまうとそれがあれだけ狂おしいほど希求していたものにはもはや見えない。それはもはや日常の一部に組み込まれる。
ということは結局、自分では悶々として生きている日々の日常こそが実は幸せというものなのではないか、などと思えた。というか、実は幸せというものはその程度のものなんじゃないかと。実際問題として危ないドラッグとかをやらない限り多幸感というものは長続きしない。万が一多幸感が延々と続いてしまったら、それはもう廃人である。
とまあ、要するに日々満ち足りた生活をしている人はともかく(満ち足りた生活とはそもそもどういうものだろう?)、何かが足りないからこそ期待というものが存在するということは間違いない。で、恐らくその期待というものが幸せの重要なファクターなのではないかなと。
なんか当たり前のことを書いてしまったな……。