ゆれる

12月7日、木曜日。

9時21分起床。

午前中母と面会。今日も会議室でアクリル板の衝立越しの面会だったが、お互いにマスクをしているせいか、母が俺の言葉を聞き取れないので、もしかしたら耳が遠くなったのかと思ったが、ちゃんと聞こえてはいるんだという。マスク越しで、なおかつ自分の口の中がからからに乾いて滑舌が悪かったせいもあるのか。

前々から予想はしていたが、日銀が今月マイナス金利修正あるかも、というので今日は大きく円買いに相場が動いた。が、こういう大きく動くときというのは怖くてなかなかポジションを持てない。反発もそれなりに大きいので。そんなわけで終日上手く乗れず、ちまちまとスキャルピングをするに留まる。

いい映画に思えなかったのは、見ていて痛みを覚える映画だったから。きょうだいは他人の始まりと言うが、そういえば自分と弟の関係もいつの間にか変わってしまった。若いころはずっと自分を追いかけていた弟が、結婚して家庭を持ち、家を建てて一家の主となった。つまり弟は分家となったわけだが、あちこちをふらふらして生きてきた俺とは違って、銀行に勤め続け、自分より遥かに世間の常識というものをわきまえた、一人前の社会人となった。本家となる高山家は、俺とこの家と共に滅びるのだろう。曽祖父の弟の分家が滅びたように。それとも、弟かもしくはその子供たちがこの家を使うのだろうか。

30代のころ、弟は俺より先に髪に白髪が混じるようになった。当時はそれをどこかもの悲しいものを見つけたように思えた。髭だけが白かった自分も、最近左のもみあげに白髪が混じるようになった。左側だけ。時は何かを修復するのだろうか。映画のように。痛みは、いずれ癒されるのだろうか。

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