傍観者

1月23日、火曜日。

アラームで9時ジャスト起床。予報に反して日中は雪が降らなかったが、夜買い物に出たら雪がちらついていたので、明日は雪になりそう。

午前中母と面会。母の部屋ではなく会議室での面会ということは、それほど具合は悪くないと思われるのだが、実際に会ってみると元気がなく、ときどき胃の辺りの調子が悪いということだった。気になるのは、最近の母は面会の間、こっちを見ておらずどこかあらぬところを見ているということ。もちろん、ずっと目を合わせて話す人も少ないとは思うが、微妙にこっちを見ていないというところが気になる。

帰宅後、日銀の政策発表。案の定現状維持。その後、3時半からの日銀総裁の会見でかなり相場は動いたのだが、そういうときに乗り切れない。結局傍観者になってしまう。これは悪いことではなく、傍観者でいる間は物事を客観的に見れているということ。ところがいざポジションを持つと途端に主観がほぼほぼすべてになってしまう。感情が入り込む。恐怖とか。難しいのは、眼前の動きがどこまで続くのか分からないということだが、要は続くと思うか続かないと思うかの二択しかない。ところがどちらを選んでも、入った途端にすべては主観になってしまう。この辺が難しいところ。

そういえば、曲のディレクションにしても、人の曲は客観的に判断できるが、自分の曲となると途端に判断が怪しくなる。作った時点でなんかしらのポイントがあると思って作っているので、そこをどう判断したものか分からなくなる。自分の作品をまったく客観的に見ることは難しい。詰まるところ、真に客観的に生きること自体が難しいのだ。

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