昨夜は11時半に寝た。とにかく眠かったのですぐ眠れた。で、いい感じの夢を見て朝目を覚ますと8時45分、9時間以上も寝てしまった。またやってしまったね、リフレックス。一応業務には行ったが2時間ほどでリタイア、いずれにせよ今の僕はいわゆるギャンブル依存症的な部分で業務には行っていない。それはいいことなのだが、逆にモチベーションが落ちると途端にやる気が失せてしまう。まあでも、ムキになったり度を越すよりはいいのかも知れないが、この辺はもう少し長い目で考えないと分からない。近頃の僕はとにかく楽しみがない、楽しむということに対して鈍感になっているような気すらする。例によってモスバーガーで昼食を摂って帰宅。

今日は1日を通して、強い恐怖を覚えるほどの不安感には至らなかったが(その点でリフレックスの効用はあったのかも知れない)、漠然とした不安は常にあり、それは考え過ぎると絶望感に近いものとなる。生きていること自体にうんざりしそうになる。思えば、僕が不安や恐怖、焦燥感に捕らわれるようになってどれぐらい経つのだろう。たぶん、1ヶ月とちょっとぐらいだろうか。如実になったのは皮肉なことに悪性リンパ腫が寛解したと病院で告げられてからだ。何かをやらなければならないと思うと不安を覚え、焦りを覚える。それが強いと恐怖を覚える。次第に僕の中からやる気というものが薄れていく。何故なら、やる気と不安が背中合わせになってしまっているからだ。そうしてこの1ヶ月以上、僕は楽しみというものを失っていった。心からリラックスすることが難しくなって、出来なくなった。このところの僕の精神状態をまとめるとこういうことになるのだろう。結果的に僕は何かの拍子に泥沼にはまり込んで足が抜けなくなったような感じになっている。結句、頭が一方向に偏るようになって、分散的な思考が難しくなっている。このように客観的に見ることは可能なのだが、そのくせそこから抜け出す方法が見出せないでいる。沼から抜け出す足場として薬ぐらいしか見つけられず、それで試行錯誤しているけれど、恐らくそれは正解ではない。どこか違うところを見渡せば、灯台下暗しで呆気ないほど簡単な脱出法があったりもするのだろう。しかし、もしかしたらそんな方法はないのかも知れない。

たぶん、誰にでも大なり小なり、こういう事態に陥ることはあるのだろうけど、僕も含めていずれは皆抜けるのだ。もしかしたら唯一の解決法は時間というものなのかも知れない。元々死ぬのが怖いから、自殺願望などというものは持ち合わせていなかった僕だけれど、それでも絶望感を感じると生きているのが嫌になったりする。早死にした人を羨ましく思ったりもするのだ。まったく困ったものだと思う。今の僕の思考体系の難点は、現状から逃げ出すことばかり考えていることなのだと思う。それで突然就職活動に走って、どこか雇ってくれるところがあればそれで全てが解決する、というような短絡的な思考になっている。しかしながら、どこかに勤めても、それが新たな憂鬱や絶望をもたらさないとも言い切れない。結局のところ、これはまったくもって僕の主観的な問題であるのだ。客観的事実を主観的にどう捉えるか、それだけの問題であって、従ってある種の客観的事実が全てを解決するわけがないように思える。つまり、主観的な問題は主観的に解決するしかない。もう本当に簡単に言えば気の持ちよう次第、と言えなくもない。この辺を解決しない限り、つい2ヶ月前の集中力を取り戻すことも難しいのではないかと思う。

夜、気を紛らわせようとYouTubeでアルフィーの坂崎と吉田拓郎のオールナイトニッポンを山下達郎と武田鉄矢がゲストの2本、合わせて3時間あまり聴いた。僕は学生時代、フォークソング愛好会というサークルに所属してはいたものの、フォークソングというジャンルは苦手だ。しかし、このメンツの話は本当に面白い。しかしながら、やっぱりどこか集中出来ない。腹の底から笑えない。つまり、パーフェクトには楽しめていない。もしかしたら今の僕は物事を堅苦しく考え過ぎているのかもしれず、物事にパーフェクトであることを求め過ぎているのかも知れない。やれやれ、今日もまた長文になってしまった。今の僕が取り敢えず出来ることは、こうして出来るだけ客観的に分析して把握することぐらいだからしょうがないが。

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