やっぱり7時に目が覚めたけれど、今日はもっと眠れる気がした。というのも、外が曇っていていつもより部屋の中が暗かったから。で、2度寝して8時23分起床。
日中は例によって業務、しかし昼近くになって具合が悪くなる。気分が悪くなり、頭痛もしてくる。なんとか我慢しているうちに夕方になり、そのまま帰路に母の病院へ。母の調子は悪くない。しかし、改めて見ると随分と痩せた。話をしていると、やはり自分の方が病気のような気がしてくる。実際、食欲もない。病院の帰りに蕎麦屋に寄って、冷たい肉そばの夕食。帰宅するころにはすっかり日は落ちていた。
郵便受けに回覧板とメモが入っていた。見ると、裏の婆さんが亡くなったらしい。留守中に町内会の手伝いの割り振りを決める集まりがあったようだが、もう既に終わっている時間だ。分からないことがあると訊いている、向かいのうちに行く。回覧板はここから回ってくる。ここは僕同様、数年前に都心から戻って来た人が一人で住んでいる。彼は確か60台中盤だったと思う。数年前に母親を亡くしている。回覧板を見ると、葬式は明日の午後、父の葬儀会場と同じ場所だ。向かいの人は僕の父の葬儀に裏のご主人が出たので、僕も出られたら出た方がいいと言う。回覧板はいつも裏に回しているのだけれど、今回は隣の隣組長の家に持っていくように言われたので、隣を訪ねる。僕は日中留守にしていたことでうしろめたさを覚え、葬式に出たくないと強く思った。なので、隣組長の奥さんには、たぶん明日は出られないと言った。そしたら香典を向かいか隣に預けるように言われた。家に戻り、コタツで香典の宛名を書いた。調べると、確かに裏の家は父の葬儀に会葬していた。香典は3000円だったので、同じ額でいいだろう。ところが、財布には千円札が2枚しかない。しょうがないので車でセブンイレブンまで行ってお金をおろしてくる。で、やはり明日は葬式に出た方がいいだろうと考える。当たり前である。逃げ回ってもしょうがない。いつかはこういう機会は回ってくる。山形の田舎に一人で住んでいる以上、近所付き合いからは逃げられるものではない。夜も更けてから、ようやく諦めがついた。明日の葬儀に出席する決心がついた。ひとつには、頭痛薬を飲んでようやく頭痛が治まったということもある。まったく情けないことに、こんな基本的な付き合いをするだけでひとしきり悩んで決心しなければならない。まったく先が思いやられる。明日の体調も心配ではある。