守る人

松田は力尽き、もうピッチに立つことは出来なくなった。レイ・ハラカミ、伊良部と40代で早逝するなど訃報の多い近頃だが、今回はちょっとこたえた。というのも、僕はレイ・ハラカミにも伊良部にも熱狂したことはなく(レイ・ハラカミは亡くなってからYouTubeで見た)、どこか他人事に思えたが、2002年、僕はトルシエ・ジャパンに熱狂していた。

夕方帰宅して松田が亡くなったことを知り、痺れが酷かったことといささか気落ちしたので頓服を飲んで1時間ほど寝た。起きてから、少し元気になるためにAirplayのアルバムを最初から最後まで聴いた。松田のイメージは、一言で言うとガッツがある、という感じだ。そうやって考えてみると、松田のようなセンターバックやゴールキーパーのように「守る」選手というのは気迫に満ちている、ということに気づいた。攻撃的な選手に求められるのは冷静さだが、例えば全盛期の川口や今の代表のGK川島の並々ならぬ気迫、鬼気迫る眼光は誰でも気づくだろう。松田と同じく中澤やトゥーリオのようにセンターバックの選手も気迫を前面に出す。それはつまり、何かを「守る」というのは必死な作業なのだ、ということなんだと思う。死守、という言葉があるように。

朝、久々に元妻から電話があり、今のマンションを引き払って彼氏のところに引っ越す、というので、まだ若干残っている僕のものをそのうち取りに来て欲しい、ということだった。僕は元妻が人並みの幸せを掴めそうだ、ということにほっとし、同時にこれでリアルに会って話が出来る人間が周りにただの一人もいなくなってしまった、という寂しさも覚えたが、それらは等しい分量であったのでなんとかバランスは保てた。真面目な話、本気でナンパでもしないといけないかもしれない。この調子だとウサギみたいに寂しくて死んでしまうかもしれない(ウソ)。

突如として話は変わるが、先日、三角コーナーにお茶っ葉を捨てたときに誤って少し外に流れてしまい、しまった、これではいつも詰まりがちな排水口が詰まってしまうと慌てて排水口に入ったお茶っ葉を三角コーナーに戻したのだが、幾分かは排水口の中に残ったままになってしまった。ところがそれ以来、これまで散々ぬめりで詰まっていた排水口がぬめりもなく綺麗になって詰まらなくなった。底に若干のお茶の葉があるだけで。おお、これがもしかして噂に聞くお婆ちゃんの知恵って奴か、それとも瓢箪から駒か、どっちにしても目から鱗だった。

どうも今日の日記は今日の天気のように支離滅裂になってしまった。

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