混乱、ただの病人、うつ病とは何か

不思議なことに、丸一日身動きひとつ出来ないほどの完全な病人状態だったのに、さっきまで2時間以上ソファに横になってHと長電話したら、日付が変わった今ごろになって少しマシになった。まだ煙草吸うと眩暈するが。カウンセリング効果ってバカに出来ないな。やっぱり精神由来か。珍しくコメント2件もらったのに、酷い状態のときに返事書いてしまったので、いまさらだけどちょっと書くタイミングを誤ったな……。

7時の寺の鐘を聞いたので、ああ7時に起きたんだな、と思ったら、結局目が覚めて時計を見ると10時だった。寝たのは2時過ぎだったと思う。もちろん、睡眠薬使用。

中途半端な時間に起きたので、今日は免許の更新に行こうかとも考えたが、朝から異常に体調が悪い。日に日に酷くなっている。精神的にも完全に参っている状態、昨日親戚に医者の話をして、お前の方が悪い、そんなことを考えても意味がないと言われて、もう訳が分からなくなり、何もかも嫌になった。朝食をなんとか摂って、もう山形の人間として生きるのは止めようと思った。僕には無理。

しかし、それ以前に生きているのも無理そうな体調、どうにもならない。結局、今日は1歩も外に出なかった。というか、出られなかった。昼まで玄関の鍵を開けて新聞を取るのも忘れていたほど。もう自分の方がおかしいのか、それとも世間の方がおかしいのか分からなくなってしまったので、昨日福祉センターに聞いた電話相談に電話してみた。が、結局何も分からない。どうしたらいいのか皆目分からない。名誉棄損で訴えて慰謝料もらうしかないんじゃないですか、と人権相談の人には言われたが、裁判で負けたらそれこそ最悪。経済的損失を被るだけでなく、結果的に僕が悪いことになってしまう。ますます頭が混乱し、午後になって体調はますます酷くなり、何もすることが出来なくなった。

どうも誤解している人が多くいるようだけれど、僕が何も出来ないと書くときは本当に何も出来ない。比喩的な意味ではなく。じゃ、こうやって日記書いてるではないか、ツイッターに書き込みしてるじゃないか、トイレにも行けてるじゃないか、と言われそうだが、どうも、「トイレにも行ける、なんとか食事も出来る、2行ぐらいツイッターに書ける=頑張れば何でも出来る」と思う人が多いようだ。だが、僕は昏睡状態に陥っているわけではない。意識不明になっているわけでもない。かといって、ああすればいい、こうすればいいということを言われても、もしくは自分で考えても、まったく出来ない。100%出来ない。不可能なのである。それぐらい、精神状態が悪くなり、極度に絶望、悲観している状態になると、気が狂わないように耐えるだけで精一杯。それ以外のことは何も出来ない。身体に来ると、トイレに行って用を足すのが精一杯、なんとかソファまで行って寝るのが精一杯。何しろ、手は痺れる、頭痛薬を飲んでも頭は痛い、胃は痛い、気分は悪い、極度にダルい、身体が思うように動かない、椅子に座っているだけで疲れる、エトセトラ、エトセトラ。寝たきりより多少マシな程度。まあ、こういう状態を何も出来ないと書くのは大袈裟だと言われればそれまで。だが、僕にとっては何も出来ない状態以外の何物でもない。後は見解の問題。

そんなわけで3時ごろに気が狂いそうになったのでソファで寝ようとしたが、あまりにも精神・身体ともに状態が悪過ぎて、眠れない。人間、あまりにも苦しいと眠れない。しょうがないので多く飲むとラリってしまう安定剤、レキソタンを半分飲んで、ようやく眠れた。目が覚めるともう5時半を過ぎていた。極度の絶望感はようやく取れたが、身体の調子の方は一向に変わらず、これは食事も出来ないかも知れないと思ったが、たまたま昼に朦朧としながら米だけは炊いておいたので、食欲はまったくなかったが必死の思いで冷蔵庫からあるものを出して夕飯を食べた。

その後はどうしていたんだろう。とにかく、なんでこんなに体調が悪いのか、一体どうしたらいいのかとばかり考えていたような。

時間は前後するが、ソファで眠れなくているときに、あまりに身体が動かないので、このままでは母の病院に洗濯物を届けることすら到底無理、どうしようかと考えた。昨日電話で話した叔母には頼みたくない。彼らにあれこれ言われるのはストレスと苦痛でしかない。彼らはうつ病というものをまったく理解していないし、僕の状態をまったく理解していないから。コミュニケーションにならない。しょうがないので、母がよく頼み事をしていたという、町内に住む前述の叔母の娘、つまり僕の従妹であれば、一度玄関先で会っただけだからいいかな、とも思ったが、やっぱりどうしても気が進まない。返せない借りを作りたくない。この状態では借りを返すのは到底無理。で、いつになったら治るかも見当がつかない。もうこれ以上、どんな類の負担も背負いたくない。

とにかく、この先僕がやるべきことは母を助けることだけ。それ以外のことに関しては、人にどう思われようがもはやどうでもいいのだ。今僕が入院したらこの家は終わり。だから死ぬほど体調が悪くても、気が狂いそうに精神状態が悪くても、僕が入院することだけは出来ない。ま、気絶して気がついたら病院のベッドの上、ということになるまでは頑張る。プライドとか見栄とか、そういう問題ではない、と自分では思っている。もっと本質的な、どう生きるか、みたいなところ。人に助けてもらうことばかり考えては、助けてくれる人が誰もいなくなったらどうしようもなくなる。「本質的な」意味で助けてくれる人間なんて、滅多にいない。そして、そういう人がいつもいつも都合のいい必要なタイミングで助けてくれるとは限らない。矢沢永吉と漫画「カイジ」のセリフではないが、「自分を救えるのは自分だけ」。

もしかしたら僕の考え方は、往々にして凄く偏ったり、間違っているのだと思う。精神状態や体調が悪いときに、客観的かつ俯瞰的に物事を見て正確な判断を下す、ということは途轍もなく難しい。普通の状態でさえ、常に正しい判断をし続けるのはほぼ不可能。人間は間違いを犯すように出来ている。だから、間違って当たり前。

昨日今日ずっといろんなことを考えて悩み、混乱し、自分が間違っているのではないかと散々考えたのだが、それで結局ぼんやりと浮かんできたのは、世の中のほとんどの大多数の人は、いまだに僕らうつ病で苦しんでいる人間に対して、「うつ病を言い訳にしている」「うつ病ということに甘えている」と、無意識下に考えているのだなあということ。所詮、うつ病になったことのない人に、うつ病の本当の苦しさは分からない。何故多くの人が自殺してしまうのか理解出来ない。しょうがないことだけれど。だから、理解出来ない人に理解してくれと思うのが無理。理解出来る人は、何も言わなくても理解してくれる。例えば、I泉さんとか、Hとか。世の中には、実際に精神疾患を患ったことのある人以外では、直観的に理解出来る人と、どうやっても理解出来ない人の2種類しかいない印象。もちろん極論。なかには説明すれば理解してくれる人もいるんだとは思うが。たぶん、イマジネーションとか先入観の問題だと思う。困ったことに、どうやっても理解出来ない人が圧倒的に多い。ちなみに、I泉さんもHも、身近な人がうつ病で自殺している。それは結構重要な要素なのかも知れない。

あ、気がつくといつの間にか日記じゃなくて、fragmentsとか別ブログに書こうと思っていたうつ病に関することを書いてた。書いているうちにだんだん調子がよくなってきたので。ま、いいか。今の僕が何かを出来る時間帯は非常に限られている。医者の言うように、生活のリズムを作る、なんてのは理想論であって、それを最優先したら本当に何も出来なくなる。出来るときに出来ることをやるしかない。

随分と長文になっちゃったな。今日の煙草は18本。しばらくは煙草の本数はあまり気にしない。もうそんな場合じゃないので。


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