最近、ときどき自分がうつ病であることを失念する。それは別にうつ病が治ったとかそういうわけではなくて、習慣的に安定剤を飲んでかつてのように激しい波はないのだけれど、気がつくとなんか落ち込んでるなあとか、なんか異常に寂しいとか、生きてるのが辛いとか思っている自分がいて、ああそういえば俺はうつ病なんだったと改めて思ったりするのだった。そういう精神的脆弱さは根雪のように頑固に僕の中にこびりついていて、僕はただその上で釈迦の手のひらの上にいる孫悟空のように翻弄されている。心のベースメントがそんな風になっているので、しばしば客観性を見失うというか、物凄く狭い内面性の中にいつの間にか閉じ込められてしまう。
一見話が飛躍するようだけど、僕はテレビを見なければいけないのではないかと思う。うつが酷くなってもう10年近く、僕はサッカー以外のテレビをほとんど見ていない。ニュースとかバラエティにストレスを覚える。見ていられない。僕は長いことあまりにもパーソナルな世界に生きてきたので、もう少し社会との接点を見出す必要がある。それが何故テレビという話になるのかというと、自分はこういう世界、社会の中で生きているのだという関係性のようなものを自覚、把握する必要があるのではないかと思うから。その辺がテレビというメディアのひとつの部分でぷつんと切れてしまっているような気がする。
閑話休題。
今日はとにかく調子が悪かった。恐らく体調が。熱を出したとか嘔吐したとか頭ががんがんに痛いとかそういう明確さはなかったが、とにかく身体が重くて先日のようにやけに疲れた。風邪でもひきかけてるのではないかと思った。業務中に具合が悪くなったりもしたし。身体に鉛でも入っているようだった。
業務はなんとか連敗から脱出はしたものの、内容というか状況は芳しくない。調子が悪いながらも今日は母の主治医と話す予定だったので、業務後はなんとか母の病院に向かう。病棟に着くと主治医がいたので話をした。内容は予想通りで、外傷、つまり手術した硬膜下血腫の方は先日CTを撮った結果もあり既に治っていてまったく問題ないということで、後遺症もないということだった。医師が気になっているのはパーキンソン症状、つまり手の震え、顔のこわばりなどで、これは手術の後遺症ではなく、むしろ薬の影響なのではないかということだった。脳に関してはもう問題ないということで、今後は転院して体力の回復と精神疾患の方が当面の課題ということだが、さらにその後という話になり、もし体力その他の回復が見込めず自宅退院出来なくて施設に入るというような事態になると、経済的に困窮するのではないかという不安が頭をよぎった。いずれにしても僕は頑張らないといけないことは確か。
今日の母は昨日までと比べると表情もよく話す内容もまともだったが、今日もまだ熱があり、医師の話によると肺炎とかの可能性もあるので熱が治まらないようであれば転院を延期するとのことだった。母と一緒にいても僕の調子が悪く、気がつくと僕の方が椅子の上で眠ってしまうような始末。なので、4時ごろには病院を後にした。
そんな調子なので、帰宅後は夕食を摂ると茶の間のコタツで気絶。目が覚めてみると3時間経過していて10時を回っていた。喉がやたらと乾く。そういえばHがコタツで寝ると脱水症状になるから気をつけるようにと言っていたな。起きてからも調子が悪くしばし放心状態。熱でもあるのかと計ってみたが、どうやら熱はないようだった。
その後は鬱屈。相変わらず身体は妙に重いし、頭がはっきりしないし、やたらと寂しいし、漠然とした不安もある。昨日今日と夜は誰にも電話は通じず。
フォルランのセレッソ移籍は正式に決まり、チェルシーのスペイン代表、マタもマンUに移籍しそうだ。これで香川はますます出番が減りそうだが、どうするのだろう。W杯を考えると移籍した方がいいと思うのだが。
しかし、話を元に戻すとどうしたらテレビを見れるようになるのだろう? テレビを見ているとどうしても辛くなってしまって見ていられない。一応最低限の情報はネットで得ているから、そこまでしてテレビを見る必要はないのだろうか。悩む。
体調のせいか今日は煙草を吸ってもおいしくない。明日の朝はゴミを出さなければならないから早起きしなければならないしな。この辺のゴミ袋、1つ40円って、都心の何十倍になるのだろう。要するにゴミを出すのが有料だということなのだろうけど、高過ぎ。
なにか劇的に気分転換するものとか、自分をポンプアップするきっかけが欲しいな。