某日

朝起きて顔を洗うと、また洗面所のタオルが凍っていた。外は快晴、こういう日の朝の方が冷える。

業務後、母の病院。今日も母は点滴をしていて、熱が7度ちょっとあるということだったが、顔色や表情は悪くなく、目も調子が悪いときの目つきではなくぱっちりと開いていた。最近口が回らなくて何を喋っているのか聞き取れないことが多かったが、今日はわりとはっきりと喋れたし、手の震えの方もそれほど酷くなく、僕が手伝わなくても一人でゼリーを食べることが出来た。総じて今日の母はよい状態に見えた。この病院に毎日通うのもあと数日、なので帰りはドトールに寄った。

母の状態がよくなったのはよかったのだけれど、それ以外は総じてぼんやりと不毛な一日を過ごしてしまったような気がする。夕食後はテレビを見てみた。BSでアジアの音楽を紹介する番組。だがテレビを見たら見たで、何か無為な時間の過ごし方をしてしまったような気がしてしまう。その後もさして何をするわけでもなく夜を過ごす。だがしかし、誰しもが毎日朝から晩まで密度の濃い、濃密な時間をびっしりと過ごしているわけではあるまい。確かに今の僕の焦燥感、危機感は常軌を逸しているのかもしれない。そのまったく楽天的になれない気持ちとは裏腹に、現実の僕の行動は実に怠惰極まりない。何をするのも面倒に思えるし、単なるナマケモノとしか思えない。このアンビバレンスは一体何なのだろう。

それなりに業務はやっているしほぼ休みなく母の病院に通い詰めているので、疲れて病院に着くと猛烈な眠気が襲ってくる。だが一日の後半、残りの半分はまったく無駄にしている感じがどうしても抜けない。ある種の貧乏性だろうか。ま、実際貧乏なのだが。余裕が多少なりともあるのは朝だけ、それ以外はどうにも精神的に余裕がない。そのわりには夜はただ呆然として過ごしている。余裕こいているのならまだいいが、実際そうではないから何も楽しめない。ただただ焦燥感だけが募る。ヒマさえあればネットでサッカーの記事を読み漁っているわりには、一向にサッカーに詳しくなっている気もしない。本も寝床でしか読めない。今の僕はコンプレックスの塊であり、何をしてもこれでいいと思えない。一向に自分に対して肯定的になれない。これもまた、うつの症状なのだろうか。

まあそんな中、YouTubeであれこれ聴いていたら、異常にカッコいい曲を発見。

カッコよすぎ。Derrick HodgeはピアノのRobert Glasperと演奏することの多いベーシスト。


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