追い詰められる

昨夜は日記を書いている間に吸った1本の煙草で本当に具合が悪くなり、風呂に入らずに寝た。眩暈がして半端なく気持ち悪かった。その傾向は今日もあり、どこか身体の具合でも悪いのだろうか。

今日は最低気温がマイナス8度まで下がったらしく、それでなくても夜中に電気シーツの電源が切れたっぽくて寒くて何度も目が覚めた。最終的には7時過ぎに携帯のアラームで起きてようやく無事ゴミを出すことが出来た。

今日は母の転院の日なので9時5分前に病院へと向かい、半には着いた。久しぶりに普通の服を着た母を乗せて町内の病院へ運ぶ。病棟に入る前に最初に診察があり、この担当医が最悪だった。話していることの95%は独り言、母がたまに喋ってもまったく無視、この医者には「親身になる」とか「相談に乗る」という概念は皆無。挙句の果てはいきなり2・3週間で退院させると言われ、独力で立ち上がることも真っ直ぐ立っていることすら出来ない患者にいくらなんでもそれはないでしょうと驚いて僕が言うと、じゃあ1ヶ月と言うので、それじゃあ何も変わらないでしょうと言い張ると、じゃあ未定にしとくわ、と誠意の欠片もない。じゃあ、じゃあ、じゃあ。前の病院で出している薬をこれはなんだ、と言うので僕が統合失調症の薬だと言っても耳を貸さず本を調べてああ統合失調症の薬かと言って、うちでは無理だなとかぶつぶつ言って、僕に向かってうちは精神科ないからね、と言う。この医者に何を話しても、何を期待してもまったくの無駄であることは明白、失望を通り越して僕は深く深く絶望した。とんでもないところに転院してしまったという思いだけがあった。

病棟に移るとさらにダメ押し。父が最後に入院した病院でボロいのは知っていたけれど部屋の環境のグレードダウンは明らか、1時半ごろになってようやく荷物を入れてひと段落して病院を後にしたものの、やり切れない絶望で頭の中は一杯、病院からすぐなので2時間ほど業務したが気もそぞろでまったく身が入らない。途中でケアマネージャーに電話して、転院したばかりなのにどうもすぐに退院させられそうなので、次の行き先を相談したい旨を伝え、金曜日に打ち合わせすることになった。どうも気になって4時ごろにまた病院へ。すると担当の看護婦が今度は急いで次を探すように言い始める。唖然。移ってきたその日にもう出るところを探せと言うのは、この病院は治す気もちゃんとリハビリして回復させる気もないと宣言しているようなものではないか。一体どういう了見なのか問い詰めると、一定期間を過ぎると診療報酬が下がるのでおいておけないのだと言う始末。それでは儲からないから出ていけというのかというと、うちは赤字で潰れるかも知れないのですと訳の分からないことを言う。そういう話を母のベッド脇でするので、いくらなんでも本人の目の前でそういう話をするのは無神経過ぎるのではないかと抗議したら、一応すみませんと頭は下げたが。

なんとも酷い病院に移ってしまった。移ったその日に出ていけとしか言われない病院。まともに治す気配もない。ここでは患者をモノとしか見ていないことが如実だ。おまけにケアマネージャーの話によると、ここから療養施設とかに移ると保険診療ではなくなるので費用がかさみ、毎月完全に赤字になり今のままでは生活が立ちいかなくなる。僕は完全に追い詰められた。そこに話を聞いていたのかただのいつもの妄言なのか、母までがお前は責任を取らなければならないとか言い始める。それは僕のせいでこうなったという意味かと訊くとそうではないというので、例によって意味不明の発言なのだが、それは追い詰められた僕を世界の果てから蹴落とす。じゃあどうすればいいのか、僕が死ねばいいのかと訊いてもただ違うとしか言わない。

本当の意味でとことんまで追い詰められ、これ以上ない不安と絶望を抱いて帰宅して呆然としていると、例のやたらと饒舌な叔母(母の妹)が病院に寄ってきたとやってきたので、玄関先で病院と医者の酷い扱いについて話すとそれはしょうがないというので僕はキレてしまった。昨日今日出ろというわけじゃない、2週間とか3週間とかあるだろうと言う叔母に僕は延々と怒鳴り散らした。しょうがない、しょうがない。叔母の言うことはもしかしたらもっともな話なのかも知れない。理想を求めてそのギャップに文句を言っても始まらないのかも知れない。しかし、僕の気持ちは止めようがなかった。僕はもうどうにもならないところまで追い詰められていた。ぶるぶると震えるくらい寒い玄関先で僕が散々怒鳴ると叔母は帰っていき、僕はまたやってしまった、また一時の感情で人間関係を壊してしまったと思って食欲を失った。だが、結局叔母に謝りの電話を入れる気にはなれなかった。今日一日でいろんな人間から言われたこと、母の扱いは正論や一般論で済ませられるもの、僕の気持ちが受け入れられるものではなかった。どうしようもなかった。

もう僕には時間がないのだ。もう死んでしまいたいと思った。厳密に言えば困っているのは僕一人であって、母ではない。母一人なら、年金で施設に入っても賄えるからだ。何がなんだか分からなくなる。今日一日で得た要素からよい方向に解釈出来るものは何一つなかった。今晩一晩寝て何か改善するものなどひとつもない。母は十分に回復するまでリハビリを得ることはなく施設かあるいは療養病院に移されるのだろう。あの病院はやるだけのことをやってから言うのではなく、ハナから母を放棄している。老齢だから無理と看護師までもが決めつけている。でなければ入ったその日にあんなことを言わないはず。これでは単に絶望するだけで頑張ろうという気力すら湧かない。しかし、明日から僕は頑張らなければならない。なんとかしなければならない。もう猶予はない。とうとうここまで追い詰められてしまった。

毎日あの病院に行って、いつ出されるのだろうと考えるのはホントに憂鬱だ。だが行かないわけにはいかない。また眩暈がしそうだ。今日は一行も書けないかもと思っていた日記だが、結局長文になってしまった。ただの泣き言と愚痴で。でも、今日ぐらいは愚痴を言わせてくれよ。まったく救いのない気分だ。


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