3.11、連鎖

午後2時46分、僕は台所にいた。外でサイレンが鳴り、同時に向かいの寺の鐘が鳴った。僕は黙祷はしなかった。その代わりにコーヒーを飲み、煙草を吸った。あれからちょうど3年、もちろんあの日のことは今でも鮮明に覚えている。それぞれの人にそれぞれの記憶がある。病院で母に、震災で3日間停電したときに何を食べていたのか、どうやって過ごしていたのか訊いてみたが忘れてしまったということだった。母が覚えているのはちょうど向かいの家にいたときに地震が来て、家に戻ってみたら父が茶の間にちょこんと座っていたということぐらいだ。あの日、地震の直後には母の携帯に繋がった。南浦和から武蔵浦和まで余震の中、歩いて帰る道すがら母と話して、山形まで同じように揺れたことにびっくりした。つまり、東北が震源ということに驚いた。いずれにしろ、あのときついに世界の終わりが来たと思ったけれど、世界はいまだに続いている。だがいまだに、あの日を境に世界がちょっとだけ捻じれて、違うパラレルワールドに移ってしまったような感じはする。3年前の3.11を境に世界は変わってしまった。この3年でいろんなことが次々と起こった。僕は癌になり、父が亡くなり、母は統合失調症になり、そして僕は実家に戻った。

今日はどうしたことか、一日中寝てばかりいた。特に熱があるわけでも具合が悪いわけではないのに、眠くてしょうがなかった。午前中にソファで1時間半、昼食後に台所のテーブルに突っ伏して1時間、夕食後にコタツで2時間。1日に3度も昼寝、というか毎食後に寝ていたことになる。お蔭で一日中夢ばかり見ていた。

朝は仕方なかった。昨夜日記を書いた後、突然ネットが繋がらなくなり、ワイヤレスルータの電源をオフったりしてみたが回復せず、ちょっとしたパニックに。セットアップのDVDでも直らずかなり焦った。結局、ノートPCを直接LANで繋いだりしているうちにようやく回復、それで寝たのが3時ごろになった。朝起きると外は凄い勢いで雪が降っていて出かける気にもなれず、それ以前に猛烈に眠かった。それで朝食後にソファで寝てしまったので昼近くになり、もはや業務に出かける気は失せた。結局今日出かけたのは午後に母の病院に行ってついでにスーパーに寄っただけだった。それにしてもなんで今日はこんなに眠かったのだろう。眠気の連鎖としかいいようがない。いつもと違うことと言えば、昨夜は睡眠薬を普段より多少効き目の長いロヒプノールにしたことぐらいだが、それだけでこんなに一日中寝てしまうとも思えない。だが、いずれにしろ安定剤の影響はあるだろう。

ちょうど昨日のツイッターに次のようなツイートが。

まったくもって遅ればせながらということだが、これに伴ってベンゾジアゼピン系(安定剤、睡眠薬)は2種類までという制限も出来るようだ。しかし、以前から何度も書いているようにベンゾジアゼピン系はアメリカでは4週間までの処方しか認められておらず、国によっては依存性により処方を禁じられている。実際、今の僕はすっかり依存している状態だが、先日極度の抑うつ状態に陥ったときにはさすがに量を増やさざるを得なかった。それで今はなんとかもっているという感じだ。困ったことに安定剤を減らすと不安定になる。恐らく離脱症状だと思われる。なんとか少しずつ減らしたいものだが、とすると睡眠薬をロヒプノールにするのは逆効果か。

今日はそんなわけでほとんど家にいたのだが、夜まで相場はほとんど動かず、ところが夜中になってなんとなく持ったポジションが完全に裏目に。いろんな意味でやれやれな一日。


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