苛立つ

いらいらしている。というのも、母のリハビリを見学中に地域医療部の師長に唐突に上山(かみのやま)の施設に移ったらどうかと言われたからだ。上山は先日まで母が入っていた山形市の病院よりもさらに遠い。何が悲しゅうてそんなところに母を入れなければならないのか。師長曰く、高速を使えば30分ぐらいで行けるからと言うが、なんで高速を使わなければならないようなところに移さなければならないのか。師長の思惑は見え見えである。とにかく早く病院を出したいというそれだけなのだ。そんなわけでまた食ってかかってしまった。

母は今日からこれまでの3階から5階の病室に移った。これまではリカバリ室という広い部屋に3人だったのが、6人部屋に移ったので狭くなって環境は悪くなった。窓際というのが救い。これもまた病院の都合である。病院からしてみれば母は大勢いる患者の一人であって、病院の都合だけで話していることは明白。だから僕は、僕らからしてみれば立場はまったく逆で、他の患者も病院の都合もどうでもいい、大事なのは母だけであって、僕らには僕らの気持ちや都合しかないと言った。僕は一刻も早く母を施設に入れたいなどとは一切思っていない。そんなことを師長に向かってまくしたてた。外面だけはよくてその実こちらの気持ちなどどうでもよく、病院の都合だけでまったく心がこもっていないのがありありと分かる。向こうはただベッドを空けて回転をよくしたいだけ、要するに営業活動と変わりない。

そんなわけで心がささくれ立っていてやりきれなく、夜になって煙草が増えた。

気を紛らわそうにも、今日は材料がなくて相場も動いてくれない。

今日はようやっと晴れたと思ったら午前中だけ、午後からは吹雪いた。久しぶりにまともに業務に取り組む。要するにネタがあったというだけの話。

起きたのは8時で、また長い夢を見た。何かから逃げる夢だった。これもまた悪夢のかたちをしているが、それほど必死に逃げ惑うというわけでもなく、深刻さもなく、あまり悪夢を見たという印象ではない。今はどんな夢にしろ、見ないよりは見たい。昨日の日記にも書いたように、人生は一編の長い夢であるという思いは次第に強くなっていく。夢だから後悔のしようがない。そんな風に考えると少しは気が楽になる。それに、夢というのは強い意志をもってすれば意図的にストーリーを変えることも可能だ。

日付が変わって11日になったが、これは10日の日記、したがって3年前の記憶を呼び覚ますのは明日にしよう。


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