たった一度の過ちでも決して許されることはなく、それはどこまでもどこまでも追いかけてきてこの世の果てまで追い詰める。完膚なきまで。
今日はあまりにもショックが大きすぎて、まともな日記どころか文章を書ける精神状態ではない。が、備忘録として簡潔に書いておこう。
5時から医者と話をする予定で行ってみると、なんと相手は7人もいた。その中には町の福祉課の人間も2人混じっていた。結論を書くと、S市警察(僕を逮捕拘留したところ)から先週虐待の通達だか通知があり、それを受けて町としては法律に基づいて強制的に母を施設に入れることになったと言われた。曰く、母の安全を守るため。つまり僕はもう母とは一緒に暮らせないことになった。なおかつ、僕が母の通帳等を管理することも許されず、成年後見人が管理することになると言われた。僕は怒髪天を衝いて怒りまくり、それから恐怖で足ががくがくと震えた。僕が釈放されてから3ヶ月以上も経ってからどうしていまさら虐待云々なのか訊いてみると、町の福祉課は警察と連絡を取り合う義務があり、病院が退院が近づいたという判断をしたのでそのタイミングで通達が届いたということである。税金をもらって仕事をしている人間ほど融通が利かない人間はいない。何を言ってもそういう法律だからで終わる。そこには母と僕の気持ちも感情も希望も何もない。彼らにそんなものは関係ないのである。法律は一体何のためにあるのか。これで僕らの家族、母も僕も弟も誰一人、何一ついいことはない。誰にも利はない。こんなことで母が喜ぶわけがない。母の人生の終わりを法律が決めるのか。母と僕の生き方を法律が決めるのか。話が終わって病室に行って僕が母を抱いて泣くと、母も泣いた。母がちゃんと事態を把握しているとは思えないが、僕にごめんごめんと謝り続けて泣いた。
成年後見人は弟以外の人間には頼みたくないと僕は言った。それ以外の人間に頭を下げるなんてごめんだと。正直、今の僕は業務では食えていない。基本は母の年金で暮らしている。だから母の通帳を管理出来なくなると生活に窮する。フルタイムで働ける状態でもないしその体力もない。町の担当者は生活保護を受けたらどうかと言うが、そんなのはまっぴら御免だ。人間はただ食って寝て息をしていることが生きているとは言えない。それは僕だけではなくて母も同じだ。そんなわけで急転直下、僕は自力で生活していくことを余儀なくされた。FXは始めたばかりでまだよく分からなくて右往左往しているだけである。とにかく、僕は明日からでも自分の生活の基盤を作らなければならない。それはあまりに急で恐ろしい。失敗が許されないのだから。とりあえず、まだ通帳を扱えるうちにと、震える手で一日の限度額一杯を下ろしてきた。
夜弟に電話して説明したが、弟は僕を安心させる言葉をかけてはくれなかった。一体僕は弟に何を期待していたのだろう。現実も他者もあまりにも無慈悲だ。情けも容赦もない。ただそれだけが分かった。町の担当者は明日施設に依頼するという。強制なので無理やり部屋を確保させるようなことを言っていた。僕らはどうなるのだろう。明日は母を歯医者に連れて行く日である。終わったらまた自宅に少しだけ連れて帰ろうと思うが、また僕は泣いてしまうだろう。もう自宅で母と一緒に暮らせることはないのだから。母もまた泣くだろう。まったく、なんということだ。これが世間、社会というものなのか。人が生きるということ、人の気持ち、感情、希望、そういったものは何処にあるのか。明日から、世間も社会も、あらゆるものを敵にして生きる。そうしないと生きていけないから。