水曜日

気のせいか今夜は気温があまり下がらない。確かにこれを書いている書斎の室温はまだ30度近くあるが、今日はそれほど日中アホみたいに暑かったというわけではないので、多分に気分的なものかもしれない。

ゴミ当番だったということもあり、8時前に起きる。とはいうものの、2時ごろには寝たので6時間近く寝ているはずなのだがやはり眠気が取れず、今日も午前中1時間ほどソファで昼寝。いまだにバテているようだ。昼前から業務、今日は母が歯科医の診察を受けるというので言われた通り2時半に母のところに行く。母は食堂で衣類を畳むのを手伝っていた。ところが老人ホームに着いた途端に僕の方がへばってしまい、しばし食堂のソファに腰を下ろして目をつむってぐったりとする。歯医者の診察の時間はなかなか来ず、結局呼ばれたのは3時半近かった。結果的に事前の話のように上の前歯ではなく、根っこだけ残った下の前歯2本を抜いた。母は血をさらさらにする薬を飲んでいるので抜くのはいささか心配だったが。すっかり僕自身がバテてしまっているので後は職員に任せて4時には帰宅。母のところにいるときは帰宅したらすぐにでも寝込んでしまいそうだと思っていたのだが、なんとか持ってその後は昼寝せずには済んだ。

一応相場の指値はしたのだが成立せず、昼に一度動いただけで方向感ない動き、成行で参加出来るポイントも見当たらず今日は様子見。一応「休むも相場」ということにしておく。

そんなわけなので本日帰宅後の夕方から夜にかけてはひたすらhuluで「ブレイキング・バッド」を見ていた。シーズン1(7話)まで見た。それで肺がんを宣告された主人公が抗がん剤治療を受けるのを見て、なにやら遠い昔のことのようで少し忘れかけていた抗がん剤治療のことを思い出す。髪が抜けたり吐き気が凄かったり尿が赤くなったりという副作用は、当時はこれが当たり前なのだと受け入れていたが、ドラマの主人公が治療を受けるかどうか散々逡巡する様子を見て、いくら他に選択肢がなかったとはいえ、僕のような極度に意志の弱い人間がよく耐えられたものだと今となっては思う。恐らく人間というものはいざそういう局面になると耐えられるように出来ているのかもしれないが。実家の玄関ぐらいしかない狭いワンルームで、一人ぼっちで毎日吐き気に耐えながら曲を作ったりしていた。今思い出すとステロイドを飲んで数日後のダルさは先日とは比較にならないものだった。部屋中が抜けた髪の毛だらけになった。浴室の排水口は抜けた髪の毛が溜まって「リング」の貞子がいまにも這い出てくるところみたいになった。点滴は1回8時間近く、よく我慢出来たものだと思う。というか、我慢するしかなかったのだ。そう考えると、どうして今はいろんなことに我慢が効かないのかと思う。たかが眠気ひとつ、ダルさひとつ我慢出来ない。

抗がん剤治療なんてもちろん経験せずに済めばそれに越したことはないが、僕にとってはある意味貴重な経験だったのかもしれない。去年の年末、20日間警察に勾留されたのもそう。あのときは何一つ自由がなかった。ネットどころか珈琲一杯飲めなかったし煙草1本吸えなかった。外の景色すらほとんど見れなかった。今こうしてネット三昧をして好きなときに珈琲を飲んで煙草を吸えるということがどれだけ有難いことなのか、もうほとんど忘れかけている。今が辛いと思うなんて、相対的にはどれほど贅沢なことなのか忘れかけている。そういう意味ではまったくもって堕落しきっている気がしないでもない。ただ、人間の意識というものは主観で構成されていて、それが(肉体的・精神的)体調というものに左右されることも事実だが。

実に、今の僕は自由なのだった。だがしかし、だからこそ焦る。久しぶりに作ったモチーフをフルコーラスの曲にしたはいいものの、それをきちんとスコアに書くこともしてないし通しで弾いてみることすらなかなか出来ない。まともに長時間相場に向き合うことすら出来ない。まったく情けないことに、椅子に座っているだけで疲れる。なんだか知らないがひたすらへばっているし睡魔に負ける。これではいけないと風呂に入る前に今夜は腕立てとスクワットをしてみたが。なにしろ一日の間で間欠的に物凄くバテてしまう。最近の悩みは集中力がとにかく持続しないことだ。

という具合に毎日反省ばかりしているが、なかなかそれを現実に活かせないのが今の悩み。


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