ラーメン幻想

2時過ぎ就寝、オムニバス形式の面白い夢を見たのだがトイレに目が覚めてしまい、夢の続きを見ようと二度寝したものの8時に向かいの寺でどういうわけかラジオ体操が始まってその音で目が覚めた。夢には羊男ならぬ羊女が出てきた。覚えているのはそこだけで、具体的な内容はすっかり忘れてしまった。

朝食を摂りながら先ずは香川対岡崎のシンジ対決の結果を確かめる。結果は岡崎がゴール、マインツが2-0でドルトムントを破っていた。岡崎は現時点でブンデスリーガの得点王トップ。凄い。

朝食後は少々寝足りないというのもあったがとにかく寒くてソファで毛布にくるまって寝ようと試みる。が、どういうわけかやけに寒くてたびたび目が覚める。

お彼岸だというので昼前に墓参りに行った。空は晴れ渡り、暑いぐらいだった。つい先ほどまで寒くて云々と言っていたのが嘘のよう。

tera

帰宅して茶の間のテレビでアジア大会の男子サッカー、日本×ネパールを見始める。が、何しろ実力差がそもそもありネパールが全員引いて守っているところに攻撃練習でもしているような試合、途中で眠気が襲ってきて縁側の籐椅子でうとうとしてしまった。結果は4-0だったがこの相手に一方的に攻めてこの結果というのは内容的にも物足りない。確かに野津田のゴールは凄かったが、ここ3試合ほど見てこのシュート以外の野津田はプレースピードがない印象だった。全体的に見て今回のU-21日本代表、プレー精度が低い。特に詰めが甘い。

前回2時間近く待たされた精神科、4時半の予約なので5分前に行くと何やら駐車場が混んでいて嫌な予感、待合室で待っていると案の定5時半ぐらいになりそうと言われたので一旦帰宅して出直す。診察が始まったのはやっぱり5時半ごろ。どうしようか迷ったのだが結局最近の僕を悩ませている例のタナトフォビアについて洗いざらい医者に話してしまった。気がつくと1時間近く語ってしまう。何故話そうか迷ったかというと、話しても解決にならないことが分かっていたからだ。実際そうだった。それは医療の領域ではないと早々に機先を制されてしまった。だが気がつくと僕はほぼすべてを話していた。小学生のときの記憶から一昨年の癌の闘病中のことやらすべて。一度話し始めると収拾がつかないというか止まらなくなってしまった。結局治療可能な病気という認識ではそもそもないので何の解決にもならなかったけれど、それでも話すと楽になるというよりも話している間は客観的になれる。コミュニケーションというのは大事だなと思った。人との繋がり、コミュニケーションこそが救済なのではないかと思ったほどだ。医者の発言で興味深いものはあったのだが長くなるので割愛。ある意味この人も僕と大差ないのだなとは思った。ひとつだけ、帰りの車の中で思ったのは、命がけのとき、命を賭けているときには死というものは怖くないということだ。なんていうか、観念的に考えると怖いのだけれど、いざ具体性を持つと怖くなくなる。それは癌を宣告されたときに自分が経験したことである。そんなことを医師相手に滔々と語った。

処方薬局で薬を受け取るころには6時半になっていた。なので、そのまま母のところに寄り、8時近くまでいた。母は「しょうがない」を繰り返す。僕はそれを肯定も否定もしない。というか出来ない。

今日は何故か母のところにいる間に腹は減らなかった。しかし今日は米を炊いていない。だから本日は帰りがけにラーメン屋に寄り、兼ねてからの念願であった(?)外食をした。

ramen

食べたのはこれ。塩ネギラーメン。確かに最近は何を食べても美味しいと思わない状態ではあるのだが、ラーメンを食べること自体が久々だし、食べ終わってスープを飲んでいると案外美味しいではないかと思ったりもしたのだが、毎日のように今日は外食をしたいと思っていた割にはこんなものかという印象だった。考えてみれば当たり前である。たかがラーメンを食べただけなのだから。普段あまりにも外食は贅沢だと(過度にと言ってもいいくらい)自制しているものだから、いつの間にか外食することに対してある種の幻想すら抱いていた気配。

夜帰宅してからは特に何をするというわけでもなく、珈琲を飲みながらユーストリームで某有名サポーターとライターのアジア大会での日本代表談義を聞いていたのだが、途中から胃酸過多っぽくなり太田胃散を飲む。しかしだんだん具合は悪くなり気分が悪くなりそうに。ひたすら我慢する。山形弁で言う「がおって」いる状態。これでは風呂に入るのも危ういかなと思ったものの、昨日髪を洗わなかったので今日はどうしても洗いたい。というので先ほど何とか風呂に入って髪を洗った。胃の具合は少し治まったところ。そんなわけなので本日は階段の昇降は休み。

今日は午前も午後もうとうとしたのに何故か眠くなるのが早い。


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