1月9日、金曜日。
曇りときどき晴れ。雪はほとんど降らず。
9時過ぎ起床。日中業務。夕方歯医者。夜BSで今日から開幕したアジア杯初戦、オーストラリア×クウェート。その後読書。
という具合に、日記なんてその気になれば1行か2行で収まる。つまり一ヵ月は30行から62行で収まることになる。常日頃の僕の日記はいささか長過ぎるのではないかと思う。だがしかし、人間の記憶というのは実にいい加減なものだから、後で検索をかけられるようにある程度は具体的に書く必要はあるのだった。
本日から始まったアジア杯、4-1というスコアが示すようにオーストラリアは確かに以前よりも強くなった(よりパスを回せるようになった)ように見えたが、それ以上にクウェートが弱かった印象。しかしやっぱりアジア杯って案外と面白い。たかがアジアだけの大会と侮れない。日本とてそう易々と勝てないし、ましてやそう簡単に優勝できるものでもない。だからこそ見ていて面白い。
カズオ・イシグロ「充たされざる者」読了。しかし長い小説だった。上下巻とかじゃないのにこれだけ長いとは。しかもそれが正味たかだか3日間ぐらいの話なのだ。それだけこの小説は寄り道が多い。というよりも寄り道自体がすべてと言ってもいいぐらいだ。一番の特徴は整合性とリアリティを無視しているところ。そもそも語り手である主人公の記憶自体が混濁している。時間はまるで相対性理論のように伸び縮みする。いや、どちらかというとひたすら伸びる。たかが2階までエレベーターで上がる間に果てしない長い会話がなされたりする。主人公が何かをしようとするたびに不意に誰かが介在し、主人公が口を開こうとするとそれを許さないように誰も彼もが長広舌をふるう。ともすると主人公の優柔不断さにいらいらする。ひたすら誰かの邪魔が入る。この小説自体がそういった邪魔や寄り道が目的であるかのようだ。話の方向性自体が意図的に曖昧であり明確なベクトルを持たない。それは主人公と登場人物の関係性もそうだ。作者は意図的に辻褄の合わない人間関係を描いている。入れ替わり立ち代わり登場してくる人たちは点として現れて一本の線としては結びつかない。これらは不条理を描く典型的な手法とも言えるが、いまさらながらカフカの偉大さを改めて感じる。このやたらと長い小説を読んでいる間、ずうっと主人公とともにいらいらしているわけで、ストーリーはどこにも帰結せず何も解決しないのだが、何故か最後に奇妙な安堵感を覚える。不思議な小説だ。
今日は夜に米の雇用統計があったのだが本日は傍観。つまり、分からなかった。それに週末だからポジションを持ち越すのも怖いし。結果は現時点でブレただけ、確たる方向性は出ていない。無理して手を出さなくて正解だったか。
気がつくと明日から3連休、いつもなら憂鬱になるところだが幸いにしてアジア杯が始まり、明後日は日本とパレスチナの試合があるので助かる。しかし業務は今日も無駄骨に終わったがホントにただの時間潰しにしかならない現状。かといって日中自宅に篭ると煮詰まるし、困ったものである。最近体力、とみに足腰があからさまに弱っているので夜階段の昇降をしたが、ちょっとやっただけで物凄くへばる。まさに後期高齢者並みの体力。これは少し続けないと。
と、こんなことを書いている間にもパリでは新聞社を襲撃した犯人とその関係者が2か所で人質を取り立て籠もっていて剣呑なことになっている。