命日にブルースが聴こえる

2月4日、水曜日。

今日(4日)は父の命日、午後は県立中央病院で悪性リンパ腫の予後検査であるCT検査があるので、午前中に寺に行った。今の時期は墓地は雪に埋まっていて墓には辿り着けないので本堂の位牌堂に線香を上げる。寺から戻る道すがら弟から電話があり、もうこの町に着いているという。帰宅するとすぐに弟夫婦がやってきた。少し話し、彼らは僕と入れ替わる形で寺に向かい、その足で母のところに寄って仙台に戻る。僕は蕎麦を茹でて昼食を摂り、1時過ぎに病院へ向かう。検査の予約は2時、10分前に到着。思いの外待たされず、検査もあっという間、拍子抜けするくらいに早く終わった。帰り道にドトールに寄る。久々に飲んだドトールのカフェ・ラ・テはちっとも美味しくなかった。このドトールは大きな書店に併設されているので本屋を覘く。すると、翻訳書というか、海外文学の文芸書のコーナーがやたらと小さく、目当ての本はなかった。しかし今どきの翻訳書のハードカバーは馬鹿高くて手が出ない。いくら部数が出ないからといって4000円近いのでは。確かにアメリカでは10年以上前からハードカバーの本は40ドルとかしてたし、考えてみればアナログのLPレコードは3000円とかしていたわけだからしょうがないのか。大半の本は文庫化されるかどうかも分からない(高い本ほど文庫化されないような気がする)ので、アマゾンで中古で安くなるのを待つしかないか。

本日はイスラム国がヨルダンのパイロットを焼殺したことが判明、すかさずヨルダンは交換条件となっていた死刑囚の死刑を執行、もはや報復の泥仕合の体を成してくる。

相場の方は朝方取ったポジションが夕方にはいい感じで利食い出来て、その後取ったポジションでも少々プラスで決済、後は控えめにしておこうと思ったのだが、つい深夜の指標時にまたポジションを取ってしまいいらぬ苦労をして余計な微損を食らう。ぎりぎりまで待ったつもりだが、今チャートを見ると結果的にはもうちょっと我慢すべきだった。一日トータルではプラスなのでまあいいか。

夜、台所でなんとなくYouTubeでジャズのフルアルバムを聴いていたのだが、ジョニー・スミス(オルガン)のアルバムをかけて物凄くシンプルなブルースが始まると、なにやら急にギターが弾きたくなった。それで書斎からギターを持ってきて動画に合わせてひとしきり弾いた。台所でギターを弾くのは初めて。これまではシンプルなブルースにはあまり興味がなかった。聴いていても皆同じに聴こえるしどちらかというと退屈すると思っていた。弾くとそれなりに楽しいのだけれど。ところが、その後風呂に入ると頭の中でブルースがずっと鳴っている。フレーズのアイディアが次から次へと出てくる。なんていうか、この歳になって急にブルースに目覚めたような感覚。今まではブルースをペンタトニック・スケール(あるいはブルーノート・スケール)で弾くのは簡単過ぎてつまらんと思っていたのだが、そういうバイアスがすとんと抜け落ちたような気がした。考えてみれば僕の好きなラリー・カールトン、ロベン・フォードといったギタリストは皆ブルース・ルーツのギタリストだ。ここに来て原点に立ち返ったような気がしないでもない。父の命日に頭の中でブルースが聴こえてくるなんてなんか素敵だ。


カテゴリー: 未分類 パーマリンク