三回忌、非禁煙宣言

4月11日、土曜日。

今日は父の三回忌を11時から行うので念のために9時にアラームをセットしておいたがさすがにその前に起きた。朝食後の珈琲を飲んでいると9時半過ぎにドアチャイムが鳴り、何かと思ったら弟がもう仙台から着いて、予定より早いのでびっくりした。もっと11時ぎりぎりになるかと思ったが。今回弟は奥さんと次男を連れてきたので総勢3人。それ以外の叔父、叔母、いとこの奥さんの親戚3人も11時までに揃った。

住職は11時ちょい過ぎにやってきてまず自宅で読経、それから寺に移動して本堂でまた読経。ひととおり読経が終わると、それではご焼香お願いしますと言われて、順番は僕からなのだが立ち上がったはいいものの一瞬頭が真っ白になり焼香ってどうするんだっけ? 状態に突入、礼をするのも忘れ、しばし呆然と立ちすくんでしまった。まったく馬鹿げた話だが、本当に焼香の仕方を忘れてしまったのである。何故か頭には「焼香=線香」というイメージしか浮かばず、一体どこに線香があるんだという一瞬パニック状態、それから目の前にある抹香をつまんでくべればいいのだということにようやく気づく。この間が一体どれぐらいの時間だったか、たぶんせいぜいが十秒か二十秒ぐらいだろうが随分長く感じられた。結局住職に対して礼をするのも忘れて席に戻り、次に弟が焼香するのを見て、ああそうだった、こういう風にやるのだったと思い、なんでこんなことを自分は忘れてしまったのだろうとしばし唖然とした。最近度忘れも多いがときおりこういったエアポケットみたいな忘れ方をすることがあって焦る。

その後墓にお参りして新しい卒塔婆を置き、うちの近所の料理屋に移動して会食。住職は山形で葬式があるというので会食には欠席。どうも体調が悪いせいもあってまたなんかやらかすんじゃないかと思っていたら、座敷に座るときに上座に座ろうとして叔母に下座に座るようたしなめられた。これもなんでそうしたのか、一度ネットで調べて法要では下座に座ると覚えたはずなのだが、確か四十九日と一周忌のときは叔父に言われて上座に座ったような記憶があり、それでつい迷いながらもそうしてしまっったのだけれど、そうすると上座に座ったという記憶自体が怪しいことになる。

とまあボーンヘッドを連発。こうなると自分自身をまったく信用出来ないのだけれど、まあ後はただ談笑しながら食事をするだけなのでなんとか無事に終わる。

会食を終えて帰宅すると2時近く。しばらく弟一家と茶の間でテレビを見て、3時ごろになって弟一家は母のところに寄ってそのまま仙台に帰宅。一人になるとどっと疲れが出て、また体調が怪しくなってきた。夕方になって茶の間のテレビでJ2のセレッソ大阪対金沢の試合を見ていたのだが動悸と息苦しさが半端なく、胸が痛くなったりするのでこのまま心臓が停まるのではないかと思ったり。あんまり具合が悪いので寝ようと思ったが寝れなかった。結局台所のテーブルに戻るとなんとかなるので、例によってコタツで寝ようとするとかえって具合が悪くなるという奴だったのかもしれない。いずれにしても、昨日からいまだ禁煙をしているのにも関わらず、やっぱり動悸や息苦しさはちっとも変わらない。

久しぶりに昼から分不相応な豪勢な食事をしてしまったのでいつまで経っても一向に腹が減らないし、動悸がして体調が悪いので食欲もない。かといって食べないわけにもいかないので、8時半ごろに簡単な夕飯を済ませる。しかし、今日のように外の料亭でいっぱしの料理を食すると、いかに普段の僕の食事が粗食であり貧しい食事なのかというのを思い知らされたような気がする。今後はもう少し食事にお金を使ってもいいんじゃないかなあとぼんやりと思う。

それはともかく、ときおり間欠的に物凄く煙草が吸いたくなる。もう本当に吸ってしまおうと何度も思う。頭の中が禁煙のことで一杯になり、何も手につかなくなる。あまりにも考え過ぎて、次第に形而上学的というか、観念的になっていく。例えば、余命半年と言われたら好きなだけ煙草を吸うだろうし、余命三十年と言われてもやっぱり煙草を吸うだろうな、とか、煙草を吸ってもいいのだという理屈をあれやこれや考え始める。ここで1本吸ったらどうなるだろうかとあれこれ考える。1本吸ったら気が楽になるだろうかと。そこからまた再度禁煙を始めればいいんじゃないかと。一方で、そうするとまたその翌日になって同じことになってしまうんじゃないか、結局なし崩しになって元に戻るんじゃないかと思うと、ここで我慢した方が楽でめんどくさくないとか、もう頭の中がそういう思考でああでもないこうでもないと溢れかえってしまう。

もう本当に何も出来ないのだ。窮屈なことこの上ない。なので、一度禁煙そのものを止める宣言をしようと思う。かといって、喫煙宣言をするわけではない。実際、昨日禁煙宣言してから30時間以上経過しているがまだ吸っていない。だがしかし、禁煙を宣言してしまうとあまりにもそのことに縛られてそれしか考えられなくなってちとどうにもならないのである。だからここはひとつ、便宜上禁煙を取りやめ、特に禁煙しているわけではないということにしたいと思う。もしかしたらそのために今晩1本ぐらい吸ってしまうかもしれない。しかしながら、基本的に煙草を止めるという方針自体は変わらない。まあ、あれこれとただ言い訳しているだけのような気もするが……。

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