眼鏡

4月19日、日曜日。

それにしてもまったく皮肉なことに、「禁煙セラピー」を読んでからというもの、煙草が増える一方だ。これではそのうち元に戻ってしまう。というのも、「これだけ言われているにも関わらず煙草を吸うことを選ぶ」みたいなある種の開き直りのような状態に突入しているように思える。とはいうものの、身体の方は既に上限が出来上がっているようで、現時点で15本吸ってしまっているのだけれど、どうやらこの辺が限界のようである。これぐらいまで来ると自然にストップがかかる。

昨夜早く(1時ごろ)寝たのである程度早起きを覚悟していたのだが、三度寝ぐらいして9時近くまで寝た。8時間近く寝たことになる。朝食後、BSで田中将大が登板しているヤンキースの試合を途中から見た。今日は無失点の好投、7回の時点で9-0という大差がついてしまい田中はお役御免。

本日は午後に母を一時帰宅させるので、午前中は一階を一通り掃除した。すると、どこかでスウィッチが入ってしまい大掃除モードに突入、気がつくと台所をマニアックに掃除・片づけしていた。

2時に特養に母を迎えに行く。向かいの寺の桜がほぼ満開になったので母とぼんやり眺めた。天気予報では晴れとなっていたので今日一時帰宅の手続きを取ったのだが生憎の曇り空。寒くはないのだがもう少し暖かくなると思っていた。母を茶の間のコタツに座らせ、久しぶり(一昨年以来か)に眼鏡をかけさせると、途端にかつての母の顔に戻ったように見えた。実際母の表情はとてもよく、本当に昔に戻ったようだった。ここに写真を載せられないのが残念だ。ノートPCとスピーカーをコタツの上に持ってきて、母と一緒にモーツアルトやベートーベンやショパンを聴く。不思議に幸せな午後だった。いろんな時間が交錯する。母の胸に去来するかつての時間と、僕の胸に去来するかつての時間、それと今。

それから母を台所のテーブルに座らせて、紙を広げて筆ペンで何か書くように言った。すると、母は自分の名前を書いた。びっくりするぐらい達筆だった。それから僕と弟の名前を書いた。私の息子です、と。もう一枚の紙に父の戒名を書かせたが、僕が手本を書いているにも関わらず母はどうしても間違えてしまう。それに、字もどこか怪しくなる。不思議だ。

こうして3時間弱の静かな時間は過ぎ、母を特養に送っていく。眼鏡をどうしようか迷ったけれど、起きている間はいいのだが眼鏡をかけたまま寝てしまったりして壊すのもなんだし、このところはずっと眼鏡なしで普通に生活も出来ているので、持って行かないことにした。また一時帰宅したときにかけさせればいいかなと。母を特養に戻すのは正直心が痛む。一時帰宅させたことでまた誰かに何か言われるのではと心配にもなる。だが僕にとって母はひとりだけ、どこまでも特別扱いして当たり前だ。これからは暖かくなる一方なのだから、また一時帰宅させよう。また一緒に音楽を聴こう。

そんなわけで今日という一日は母と過ごしたのがすべて。

毎日同じ時間に夕飯を食べているので6時になると腹が空く。早い夕食後、そういえば冷蔵庫が空っぽなのでスーパーに買い物に行く。夜中に腹がまた減りそうだと思って、滅多に食べない焼き鳥を買ってきた。ところが帰宅後つい珈琲を淹れてしまい、ポテトチップスまで食べてしまったので焼き鳥を食べるタイミングを逸してしまった。大体に於いて、焼き鳥を食べるのに珈琲はないと思う。この辺は実に焼き鳥を食べ慣れていない。

今日は母を一時帰宅させた以外は掃除をしたぐらいでほぼ何もやっていないに等しいのだけれど、どこか夢のような一日でした。

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